今日は、21世紀最高のアニメと言われているアニメ映画「千と千尋の神隠し」をお勧めしたいと思います。この映画の大筋が非常に奥深く、示唆的であり、また映画自体にも深いメタファーが多く含まれています。
「千と千尋の神隠し」を解説する前、宮崎駿の『折り返し点 1997-2008』と鈴木敏夫の『風に吹かれて』を拝見しました。それで、映画製作の秘密がたくさん発見しました。二人の話により、映画に対する新しい理解を組み合わせたうえで、「千と千尋の神隠し」の3つのメタファーをまとめて紹介します。それは「職場」、「子育て」と「油屋の真実」です。
今日の分析は、「千と千尋の神隠し」に対する想像を完全に覆すかもしれません。
最初のメタファーは、この映画を見ながらすでに感じていると思いますが、「職場」です。
映画の「千と千尋の神隠し」は、10才の少女・千尋が誤って神々の集う世界に迷い込み、両親を人間に戻す方法を探すために、湯婆婆が経営する「油屋」で働くことを描きます。
それでは、千尋さんの就職活動の様子を見てみましょう。
千尋が神々の集う街で最初に出会ったのはハクで、ハクは千尋に「生きたければ油屋で仕事を探せ」と言いました。 ハクと千尋は旧知の仲であることが後に判明するが、ハクは家族や親戚のように、すでに学校を離れて有名な会社で働いており、千尋を会社に引き入れようとしているのではないかと想像できますよね。
そこで、千尋に油屋のボイラー室に行くように指示して、ある部署の人事担当者のような釜爺に会いに行き、事前審査の後、上司の湯婆婆に千隼を差し出して判断を仰ぐのであります。 ボスに会いに行く途中、千隼は同僚のリンに悪い愛想を受けます。
上司の湯婆婆との厳しい面接を経て、千隼はハクから教えた面接技術を頼り、仕事を獲得するが、彼に与えられたのは最下層の小さな職員だったのです。
千尋は仕事の契約をサインしてから、自分の名前を失うことで、現実の世界で人々が企業に身を売って自由を失うことの象徴です。なぜ 「千と千尋の神隠し」の職場は生き生きとしていますか?実は宮崎駿自身の経験に基づいて描いたからです。例えば、同僚のリンは、最初は悪い印象を与えますが、新人の千尋が自分を証明した後、仲良くになりました。
これは非常に現実的なことと思います。リンは会社の生態を知っているベテランであり、あまりにも多くの新人が諦めるのを見てきたからです。彼らと知り合うことで時間を無駄にしたがらないのです。 千尋が自分を証明してから、彼女を認め、妹のように千尋を世話しますが、もし千尋が試験に落ちて「ダメだ」と判断されると、リンは「好意」は職場では負担になるので、手を差し伸べないかもしれません。
自分のほうからみると、初めて入社する時、誰でも「観察される」時期があります。 上司が自分の能力を観察するだけでなく、同僚も新社員の状況をよく理解してから、それ以上の関係を持つかどうかを判断していたのではないでしょうか?
ちょっと現実的な話だと思うかもしれませんが、相手の良し悪しにかかわらず、誰にでも心を尽くすだけでは、長い目で見たら、かなりのプレッシャーになります。公私の区別がつかなくなりがちで、友達を作ろうとすると、仕事に影響があることも考えられます。
例えば、ボイラー室で、ススワタリが運べない石炭を動かすのを千尋が手伝うと、それを見た他のススワタリは、自分は動かせないふりをして、千尋が自分の仕事を手伝ってくれるのを待っていました。
また、本作の「湯婆婆」と「銭婆」は双子の姉妹ですが、宮崎駿監督により、実は「同じ人間」でありますが、場面によって感情や行動が異なるとわかります。
職場では、まるで湯婆婆のように、いつも大声で社員に「頑張れ」と叫んでいる人々は家に帰ればすぐに優しく善良な容姿になります。こういう分裂の状態こそ、現代人の悲しいところです。
「千と千尋の神隠し」は、10歳の友人の娘さんをモデルにした物語ですが、宮崎駿監督は世界中の子どもたちが見られる映画、さまざまな立場の子どもたちが共感できる映画を作りたいと繰り返し語っています。
宮崎駿監督により、映画の中で10歳の千尋は生きるために働く描写は、NHKの番組を見た時、ペルーの子供たちの労働状況を取り上げて、この映画を入れようと思っていました。 テクノロジーが発達していなかった昔と比べて、今の子どもたちはとても幸せだと考えています。 働かなくてもいいだけでなく、物質的な心配もないし、あらゆる娯楽が手に入れます。監督は、映画の冒頭で後部座席に横たわる退屈そうな千尋のように、子どもたちが過度の感覚刺激によって「想像力」を失い、何事にも無関心になることを懸念しています。
テレビや映画、マンガ、アニメなど、さまざまなものがあふれている環境にいる子どもたちが、次世代の映像クリエイターになるとは思えません。
「ああ、それはテレビで見たよ」
「ああ、それは映画で見たことがある」
風景まで見ても、「これはゲームでやったことがある」と思ってしまうのです。
彼らは、あらゆることを試したんだとおもいます。しかし、この現実を構築した文明そのものが、遅かれ早かれ代償を払わなければならないと考えています。 そして、その心配を「カオナシ」を通して表現します。 多彩な油屋に入った後、カオナシはパンドラの箱を開けます。 料理もワインも貪り食って、食べれば食べるほど空腹になっています。 肥大した醜い顔のカオナシとは、心身ともにゴミを食べ過ぎて、太って想像力のない人間の象徴であります。
宮崎駿監督の作品は、想像力が最大の原動力となっています。
彼は、自分の映画を見る観客が、想像力に富んだシーンやプロットから「ファンタジーの力」を引き出すことができることを常に願っている。
今、「現実を直視しろ」と叫ばれていますが、現実を直視した途端に自信を失ってしまう多い人たちには、自分自身が主人公になれる空間を与えることを第一に考えるべきではないでしょうか。 そして、それこそがファンタジーの力であり、宮崎駿監督がよく知っているジレンマなのです。
娯楽や情報が豊富になり、アクセスしやすくなったことで、「氾濫と麻痺」が起きていることはもちろんですが、知識が増えていることも否めません。そこで重要なのは、子供たちが触れるコンテンツの「質」を判断できるように訓練し、「量」が想像力の発達を妨げるものではなく、助けとなるようにすることだと考えています。
そのため、「千と千尋の神隠し」の物語は、親に依存し、傲慢で意地っ張りな10歳の少女が、突然、神や魔物がいる不思議な世界に入り込み、親までもが豚にされてしまうという設定になっています。
この世界では、千尋は自分の力を頼りに、様々な困難を乗り越えて生きていかなければなりません。
主人公が「主人公だから」安心していられる完全なフィクションの世界の代わり 、善人と悪人がいて、その善人と悪人が同じ人間であるような世界を作りました。そして、主人公たちは自分で判断し、問題に対処し解決する方法を身につけていきます。
宮崎駿は、映画を通じて、子どもたちに、現代の大人たちよりも先を見通すことができる「澄み切った視界」を育みたいと考えています。 そうなると、ブランドバッグを買いに行くのではなく、普通のショッピング・バッグで買い物をするようになります。
だから、カオナシの誘惑に対しては、自分の立場をしっかり持って断ることができるように千尋を手配しました。油屋の中の他の大人たちのように、貪欲に自分の財産ではないことを妄想するのではありません。
この映画を通じて、世界は奥深く、多彩で、無数の可能性がありますので、「大丈夫、君なら絶対できる」というメッセージを伝えたいです。
湯婆婆が経営する「油屋」は、神様や妖怪が訪れる温泉宿で、ひっきりなしにやってくるお客さんから見ると、商売繁盛のようです。 宮崎駿さん自身によると、「油屋」は、そしてこの世界は、日本の縮図だといいます。
例えば、千尋が住んでいる寮は、日本の初期の繊維工場の女性労働者の寮や、療養所の病棟などを参考にしています。
湯婆婆の事務室は、19世紀末に東京に建てられた有名な洋風建築「鹿鳴館」を参考にしており、また油屋自体は室町時代や江戸時代から存在し、現在の遊び場と同じような目的で使用されていたといいます。
記録によると、江戸時代に銭湯で働いていた女性たちは「湯女」と呼ばれ、「湯婆」は銭湯のオーナーで、ママさんと同じような立場だったそうです。 宮崎駿さんは保守的だが、彼の言う「遊び場」は実際には風俗場所であります。 あるインタビューでは、インタビュアーが「油屋に大きな浴場がない理由は何ですか?」 宮崎駿は微笑みながら答えて、「まあ、何か嫌なことをしたいからということでしょう。」
そして、油屋の原型が確認されれば、「千と千尋の神隠し」全体の背後にある驚くべき意味合いが明らかになります。
昔々、ある貧しい少女が、家計が苦しいという理由で、欲深い両親から町一番の高級湯泉宿のオーナーに売られてしまいました。 少女は売買契約書にサインさせられ、芸名を与えられ、それ以来、借金返済のためにホテルで働いています。 不幸な運命にもかかわらず、少女は両親を責めることなく、将来、家を出て両親と再会できるだけのお金を貯めたいと考えています。 厨房のシェフ、姉妹のような存在の同僚、同じくホテルに身を売っている若旦那など、たくさんの人と出会って、彼女がホテルでの生活が苦になりませんでした。
新人である彼女には、最も嫌な客が投げつけられるが、懸命に働き、彼女を評価してくれる客にも出会い、プライベートで貴重なプレゼントを贈っています。 次第に、その女の子は店の人気者となり、多くの客が店を訪れるようになります。もちろん、金持ちのふりをしているが明らかに貧乏な人も含まれています。 この話に聞き覚えはありませんか?
宮崎駿監督自身も「千と千尋の神隠しは日本の風俗産業を参考にしている」という考えを否定しておらず、インタビューでも風俗産業こそが、今の社会を描くのに最適だといいました。
日本はもともと風俗業で成り立っている社会であり、ネットユーザーの中には、わざわざ映画の中の証拠をまとめている人もいます。例えば、千尋の制服、湯婆婆の後ろのボードに書かれた文字、銭湯のデザインなどです。
この分析を読んで、千と千尋の神隠という映画に対する理解が変わりましたか?「千と千尋の神隠し」の3つのメタファー「職場」、「子育て」と「油屋の真実」をわかりましたか?
ホットトピックス
Copyright © 2024 entametalk.jp All Rights Reserved.
エンタメTALKはアダルトコンテンツを含みますので、18歳未満の方の閲覧を固くお断りいたします。