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監督 | アルフォンソ・キュアロン |
評価 | 3.66 |
解説
『しあわせの隠れ場所』などのサンドラ・ブロックと『ファミリー・ツリー』などのジョージ・クルーニーという、オスカー俳優が共演を果たしたSFサスペンス。事故によって宇宙空間に放り出され、スペースシャトルも大破してしまった宇宙飛行士と科学者が決死のサバイバルを繰り広げる。監督を務めるのは、『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』『トゥモロー・ワールド』などの鬼才アルフォンソ・キュアロン。極限状況下に置かれた者たちのドラマはもとより、リアルな宇宙空間や事故描写を創造したVFXも必見。
あらすじ
地表から600キロメートルも離れた宇宙で、ミッションを遂行していたメディカルエンジニアのライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)とベテラン宇宙飛行士マット・コワルスキー(ジョージ・クルーニー)。すると、スペースシャトルが大破するという想定外の事故が発生し、二人は一本のロープでつながれたまま漆黒の無重力空間へと放り出される。地球に戻る交通手段であったスペースシャトルを失い、残された酸素も2時間分しかない絶望的な状況で、彼らは懸命に生還する方法を探っていく。
映画レポート
暗い部屋からもっと暗い次の間を覗くと、次の間が深く見える。闇が深く見えるだけでなく、奥行も深く感じられるのだ。子供のころ、私はそれが不思議でならなかった。
アルフォンソ・キュアロンも、似たような体験をしたのではないか。「ゼロ・グラビティ」を見て、私は思った。冒頭の長まわしが、闇のなかから別の闇に見入っている彼の視線を思わせる。もともと彼には「見入る」癖がある。傑作「トゥモロー・ワールド」で廃墟を凝視してみせた場面などはその好例だ。
「ゼロ・グラビティ」の設定は、みなさんご存じだろう。作業中の宇宙飛行士(サンドラ・ブロックとジョージ・クルーニー)が、地球から600キロ以上離れた空間を漂流する。重力はない。助けは来ない。声は届かない。
キュアロンは、このシンプルな設定で90分間、観客を宙吊りにする。発想の基本は「活動大写真」だ。一難去ってまた一難。序盤の快活な雰囲気は、いつしか底知れぬ悪夢へと変貌していく。ただし、この活動大写真はゲーム的ではない。「スター・トレック」に白ける私が身を乗り出したのには理由がある。
ひとつは、サンドラ・ブロックの頑健な肉体に複雑なニュアンスを帯びさせたことだ。ブロックは、腰も太腿も二の腕もたくましい。その肉体が、浮遊と漂流をつづけるうち、寂寥と絶望を滲ませていく。宇宙空間での孤立はそこまで深い。その心細さは、われわれ観客にも伝染する。漂流を体感するだけでなく、ブロックの生理まで体感してしまうのだ。もし彼女の遭難した場所が大海原や高山だったら、ここまで深い寂寥感を作り出すことはできなかったのではないか。青い光を放つ地球を背景にした宇宙空間は、3Dの大画面と文句なしに相性がよい。(芝山幹郎)
監督 | トム・フーパー |
評価 | 4.15 |
解説
文豪ヴィクトル・ユーゴーの小説を基に、世界各国でロングラン上演されてきたミュージカルを映画化。『英国王のスピーチ』でオスカーを受賞したトム・フーパーが監督を務め、貧しさからパンを盗み19年も投獄された男ジャン・バルジャンの波乱に満ちた生涯を描く。主演は、『X-MEN』シリーズのヒュー・ジャックマン。彼を追う警官にオスカー俳優のラッセル・クロウがふんするほか、『プラダを着た悪魔』のアン・ハサウェイ、『マンマ・ミーア!』のアマンダ・セイフライドら豪華キャストが勢ぞろいする。
あらすじ
1815年、ジャン・バルジャン(ヒュー・ジャックマン)は、19年も刑務所にいたが仮釈放されることに。老司教の銀食器を盗むが、司教の慈悲に触れ改心する。1823年、工場主として成功を収め市長になった彼は、以前自分の工場で働いていて、娘を養うため極貧生活を送るファンテーヌ(アン・ハサウェイ)と知り合い、幼い娘の面倒を見ると約束。そんなある日、バルジャン逮捕の知らせを耳にした彼は、法廷で自分の正体を明かし再び追われることになってしまい……。
映画レポート
1985年にロンドンのウエストエンド、その後ニューヨークのブロードウェイでロングランヒットした名作ミュージカルの映画化として、堂々とした風格を備えている。
原作は150年前に書かれたビクトル・ユーゴーの「ああ無情」。19世紀の革命後のフランスを舞台にした“コケが生えた”ような物語だ。観客の多くは結末に至るまでストーリーを熟知していて、予定されたことしか起こらない。貧困や格差にあえぐ民衆たちが自由を求めて蜂起する。しかし民衆は踊らない。3・11後の初めての選挙にも関わらず、国民の4割が選挙権を放棄したいまの日本社会の姿を重ね合わせることができる。この映画の革命は、民衆たちの「無関心」により失敗に終わるのだ。フランスの三色旗が虚しくはためく。
主演のヒュー・ジャックマン(ジャン・バルジャン役)をはじめとした俳優たちの、感情がほとばしるままに溢れ出す歌声が、観ているぼくらの心を揺らす。ミュージカルとは、俳優たちが“楽器”のように全身を共鳴させて奏でる歌声(肉声)を楽しむ芸術なのだ、と改めて思い知る。
アン・ハサウェイ(ファンテーヌ役)が歌う「夢やぶれて」、サマンサ・バークス(エボニーヌ役)が歌う「オン・マイ・オウン」、そしてエディ・レッドメイン(マリウス役)らが歌う「民衆の歌」。この映画には一度聴いたら忘れられない珠玉のミュージカルナンバーが少なくとも(31曲中)3曲はある。映画がハネた後に感動と興奮そのままに、鼻歌で歌いたくなる名曲だ。とくにメインキャストたち全員による歌声が絶妙なアンサンブルを奏で始め、終いにはオーケストラのように重なり合う、クライマックスの「民衆の歌」に涙が止まらなかった。圧倒的な感動のきわみへと誘う歌の力に、全身が熱くなった。
監督 | ダリウス・マーダー |
評価 | 3.99 |
解説
[配信作品]突然聴力を失い始めたヘビーメタルバンドのドラマーの葛藤を描くヒューマンドラマ。かつて薬物依存症だった主人公がろう者のコミュニティーで生活しながら、聴力を失う現実を受け入れようともがく。監督は『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ/宿命』の脚本などを担当してきたダリウス・マーダー。『シティ・オブ・タイニー・ライツ』や『ヴェノム』などのリズ・アーメッドをはじめ、『サラブレッド』などのオリヴィア・クック、『潜水服は蝶の夢を見る』などのマチュー・アマルリックなどが共演する。
あらすじ
ドラマーのルーベン(リズ・アーメッド)は突然、音がほとんど聞こえなくなってしまう。バンド仲間で恋人のルー(オリヴィア・クック)は、ルーベンがドラッグに依存していたころに戻ってしまわないよう、ろう者のコミュニティーへ行くことを勧める。コミュニティーでルーベンは手話を身につけ、次第に新しい生活に慣れていくが、一方でかつての暮らしに未練を感じていた。
監督 | デヴィッド・バトラー |
評価 | 3.09 |
解説
西部開拓時代に実在した男勝りの女ガンマン、カラミティ・ジェーンと親友のワイルド・ビル・ヒコックの恋の行方を描いたドリス・デイ主演の異色のミュージカル・ウエスタン。デッドウッドと呼ばれる西部の小さな町。ここに、そのお転婆ぶりからカラミティ(大災難)とあだ名される名うての女ガンマン、ジェーンがいた。まるで男勝りの彼女に、親友のワイルド・ビル・ヒコックも友情以上の感情が芽生えることはなかった。ある日ジェーンは、町にスターを連れてくると約束しシカゴへと向かうが、間違って付き人の女の子を連れてきてしまう。
監督 | 滝田洋二郎 |
評価 | 4.25 |
解説
ひょんなことから遺体を棺に納める“納棺師”となった男が、仕事を通して触れた人間模様や上司の影響を受けながら成長していく姿を描いた感動作。監督には『壬生義士伝』の滝田洋二郎があたり、人気放送作家の小山薫堂が初の映画脚本に挑戦。一見近寄りがたい職業、納棺師に焦点を当て、重くなりがちなテーマを軽快なタッチでつづる。キャストには本木雅弘、広末涼子、山崎努ら実力派がそろい、主演の本木がみせる見事な納棺技術に注目。
あらすじ
楽団の解散でチェロ奏者の夢をあきらめ、故郷の山形に帰ってきた大悟(本木雅弘)は好条件の求人広告を見つける。面接に向かうと社長の佐々木(山崎努)に即採用されるが、業務内容は遺体を棺に収める仕事。当初は戸惑っていた大悟だったが、さまざまな境遇の別れと向き合ううちに、納棺師の仕事に誇りを見いだしてゆく。
映画レポート
本木雅弘演じる主人公の“納棺師”が死に化粧と納棺の儀式を行う。死に装束の着物の衣ずれの音まで耳に心地よく響く。彼の所作ひとつひとつが指先まで神経が行き届いて、(ポーラ伝統文化振興財団の)記録映画でよく見る“匠の仕事”、美学の極致にまで達している。男の前の職業が指先が器用なチョロ奏者だという仕掛けが効いている。
滝田洋二郎監督と脚本家の小山薫堂がつむぎ出す物語は、死の儀式を執り行う主人公の周りからの“けがれの職業”だという意識をむき出しにする。やがてその儀式なしに、故人との別れは成り立たないことを訴える。最初はショックを受ける広末涼子演じる妻さえも、儀式の凄みに刮目せざるをえなくなる。
納棺師の先輩役の山崎努がフグの白子焼きを、伊丹十三映画のように美味そうに食べるシーンがある。食べることも人間の営みのひとつで、生き物の“死”に始末をつける行為であることをグロテスクなまでに見せつけるのが興味深い。人間は生き物の“死”の上にしか“生”を享受できない。なかなか深い。
この納棺師のひたすら美しい死の儀式は、一度でも親しい者を出棺した過去がある御仁なら、涙なくして見られないだろう。藤沢周平文学でおなじみの山形・庄内地方の移り変わる四季の自然が表情豊かで、美しい映画だ。(佐藤睦雄)
監督 | アンディ・ウォシャウスキー |
評価 | 4.19 |
解説
「バウンド」で監督デビューを果たしたウォシャウスキー・ブラザースによる新感覚のSFXで彩られた重厚かつスタイリッシュなアクション巨編。ニューヨークの会社でしがないコンピュータプログラマーとして働くトマス・アンダーソンには、裏世界の凄腕ハッカー“ネオ”というもうひとつの顔があった。ある日、“ネオ”はディスプレイに現れた不思議なメッセージに導かれるまま、謎の美女トリニティと出会う。そして彼女の手引きによってある人物と接見することになった……。
映画レポート
※ここは「新作映画評論」のページですが、新型コロナウイルスの影響で新作映画の公開が激減してしまったため、「映画.comオールタイム・ベスト」に選ばれた作品(近日一覧を発表予定)の映画評論を掲載しております。
ある時期から、ハリウッド映画が日本のアニメの表現を上手く取り入れるようになってきた。予算は太刀打ちできないけれど、匠の技では負けていないと思っていた秘伝のスープが分析され、ハリウッドスケールで“アニメのような”夢の映像が続々と実現されていく。その先駆けのひとつが「マトリックス」だったように思う。
製作のジョエル・シルバーは企画当初、監督のウォシャウスキー兄弟(現・姉妹)から日本のアニメを見せられ、「(これを)実写でやりたい」と言われたとメイキングで語っている。日本のアニメのほか、カンフー映画(ユエン・ウーピンが振付師として参加)、ジョン・ウー監督作品(2丁拳銃&トレンチコート)など彼らが好きなものを贅沢にちりばめ、徹底して格好いい絵を見せることにこだわった。
銃弾が飛びかうなか、カメラが被写体のまわりをスローモーションでぐるっとまわる「バレットタイム(マシンガン撮影)」は、本作で発明されたSFX。120台のスチルカメラと2台の撮影用カメラを用いたアナログな手法で撮影されており、1999年の公開直後はCMなど、あらゆる映像分野で「マトリックス」風の映像が氾濫した。それぐらいキャッチーでフレッシュな映像表現だったのである。
再見して見事だと思ったのは時間配分だ。全体の約4分の3を世界観の説明と物語のセットアップに使い、ネオとトリニティが捕らわれたモーフィアスを救うラスト30分にアクションシーンを集中させている。この30分に「マトリックス」といえばあのシーンと思いつく名場面が凝縮されていて、ケレン味満載の銃撃戦やワイヤーワークを駆使した格闘、ヘリコプターを使った大アクションが続く。
観客はネオと同じ視点で“マトリックス”の秘密を知り、救世主として力を覚醒させる彼に自然と感情移入する。そして鑑賞後には、ブルース・リーの映画を見たあとのような高揚感にひたることができるのだ。
監督 | ウィリアム・フリードキン |
評価 | 4.00 |
解説
12才の少女リーガンに取り付いた悪魔パズズと二人の神父の戦いを描いたウィリアム・ピーター・ブラッティ(オスカーを受賞した脚色も担当)の同名小説を映画化したセンセーショナルな恐怖大作で一大オカルト・ブームを巻き起こした。
映画レポート
1974年7月に公開された「エクソシスト」は前評判通りの大ヒットとなり、年間興行成績の首位を獲得。当時の日本はベストセラー「ノストラダムスの大予言」「日本沈没」の映像化によるパニック映画ブーム、ユリ・ゲラーのスプーン曲げがきっかけの超能力ブーム、中岡俊哉著「恐怖の心霊写真集」やTV「あなたの知らない世界」から始まる心霊ブームがほぼ同時に発生。そこに、オイルショックによる高度成長の終焉と、トイレットペーパー騒動や狂乱物価、さらには年300回を超える光化学スモッグ発生に見られる公害の影響が重なる。第二次ベビーブームの真っ只中、それらが引き起こす深刻な世相不安が「エクソシスト」のヒットと一大オカルトブームを大きく牽引したと言えよう。
本作は米公開時から「衝撃の実話」「関係者が次々と死亡」「原因不明の火災でセットが焼失」「観客に失神者続出」というショッキングな報道がなされた。少女リーガンに取り憑いた悪魔パズズと、メリン神父とカラス神父の命がけの悪魔祓いを描いた本作は、ドキュメンタリー出身のフリードキン監督でなければ出せない迫力に満ちている。実際、リアルを追求するために、監督は際どい手法を取っている。
カラス神父役のジェイソン・ミラーから驚愕の表情を引き出すために突然空砲を発砲する、リーガンの緑の吐瀉物を予告なしに顔面にかける(豆のポタージュとのこと)、ダイアー神父演じるウィリアム・オマリーに本番直前にビンタをして、悲嘆にくれるシーンを撮影、ベットで激しく揺さぶられるシーンではリンダ・ブレアは腰と背中に深いダメージを負った、リンダは有名な「スパイダー・ウォーク」でも背中を痛めたが、このシーンはカットされた(ディレクターズ・カット版で復活)、対決シーンでは息が白く見えるようにセットをマイナス40度に冷却、霜がおりるなか俳優には通常の衣装で演技させた、等々。
スタッフ・キャストの奮闘もあり、過激なショック描写と信仰というテーマで「エクソシスト」は73年賞レースの目玉に。ゴールデングローブでは7部門にノミネートされ、作品、監督、脚本、助演(リンダ・ブレア)の4部門を独占。本命オスカーでは「スティング」とともに作品、監督など最多主要10部門にノミネート(受賞は脚色賞と音響賞)。作品賞にノミネートされたホラー映画は「エクソシスト」が初、それ以降は2017年の「ゲット・アウト」まで現れなかった。
イタリア最大のエクソシストで知られる神父がお墨付きを与えるほど、この作品は「悪魔祓い」を真実として取り上げた画期的な映画だった。作中、精神科医の立場で科学的な解決を試みるカラス神父は、次々に襲いかかる超常現象を前に苦悩する。善と悪、神と悪魔は表裏一体であることを知ったカラスは、最後に信仰を取り戻し、命がけの決断で少女を救う。その結末は驚きと共に深い感動を呼び、半世紀経った今も色あせない魅力を放つ。オカルト映画、キワモノという枕詞はあるものの、高い完成度を誇る人間ドラマとして、この機会にぜひ鑑賞して頂きたい。
監督 | ジュゼッペ・トルナトーレ |
評価 | 4.36 |
解説
イタリアの名匠ジュゼッペ・トルナトーレによる、映画史に残る至高の名作。イタリアのシチリアを舞台に、少年と映写技師が映画を通して心を通わせていく様を、感動的な音楽と繊細な人物描写で描き出す。映画に魅了された少年トト役を、サルヴァトーレ・カシオが愛くるしい演技で演じきった。年齢を超えた友情や少年時代の夢など、世代や時代を超えた人々に愛される物語に、“映画の魔法”という名の感動が存分につまっている。
あらすじ
映画監督のサルヴァトーレ(ジャック・ペラン)は、映写技師のアルフレード(フィリップ・ノワレ)という老人が死んだという知らせを受け、故郷のシチリアに帰郷する。
映画レポート
もはや説明不要なほどに知られた、不朽の名作である。ジュゼッペ・トルナトーレが全編を通して紡ぐ映画への愛はどこまでも尊く、長きにわたり世界中の映画ファンへの問答無用のラブレターであった。1989年の第42回カンヌ国際映画祭コンペティション部門で、審査員特別グランプリを受賞してから30余年。その間、世界中で様々な出来事が起きたが、映画を愛する人々にとって、そして映画を生業とする人々にとっても、今ほどこの作品を必要とする時代はないのではないだろうか。
新型コロナウイルスの感染拡大により、何もかもが変わってしまった。これまでの何気ない日常が、どれほどかけがえのないものであったかを誰もが痛感させられているはず。世界中の映画館が休業を余儀なくされている。いったい誰が、映画館のない日常を想像することが出来ただろう。
「ニュー・シネマ・パラダイス」に登場する小さな映画館「パラダイス座」は、シチリア島の小さな村の中心に位置する広場にあり、教会を兼ねている。第二次世界大戦終結直後で誰もが貧しく、楽しみといえば映画だけだった。本編には、「駅馬車」「チャップリンの拳闘」「ジキル博士とハイド氏」「風と共に去りぬ」「街の灯」「カサブランカ」「素晴らしき哉、人生!」「夏の嵐」「ならず者」「ローマの休日」など、数え切れないほどの名作が登場する。映写技師として働くアルフレードと、「トト」と呼ばれていた映画に魅了された少年サルヴァトーレの心の交流は、この場所から始まる。
今作には、大きく二分すると劇場公開版とオリジナル版が存在する。前者はパラダイス座が物語の中心として鎮座するのに対し、後者はトトの人生に主眼が置かれている。まるで趣が異なるが、その是非を論じるのは野暮というもの。トトとアルフレードの触れ合いは実に温もりにあふれ、人はひとりでは生きていけず、行動しなければ何も始まらないということを、見る者に静かに提示してくる。
火災によって失明したアルフレードが、突き放すようにトトに告げるセリフが強く胸を打つ。「今のおまえは私より盲目だ。人生はおまえが見てきた映画とは違う。人生はもっと困難なものだ。行くんだ! おまえは若い。もう、おまえとは話したくない。おまえの噂が聞きたい」。
鑑賞機会を重ねれば重ねるほど、シーンひとつひとつの持つ意味合いが染み入ってくる。少年時代のトトが映写室の小窓から覗き込んだ世界には、銀幕を食い入るように見つめる好奇心に満ちた眼差しがあった。戦後の日本が迎えた、空前の映画ブームも然り。笑いも涙も、客席に座る誰もが等しく共有できた。この光景を、失くしてはならない。冒頭で今作を「映画ファンへの問答無用のラブレター」と記述したが、いまはトトとアルフレードが鎮魂歌(レクイエム)を奏でているようにも感じられる。そう遠くない将来、人々が本当の意味で日常を取り戻すまで、そして世界中の映画館に人々が戻ってくるまで、何度だって2人が激励してくれるはずだ。
監督 | トッド・フィリップス |
評価 | 4.11 |
解説
『ザ・マスター』『ビューティフル・デイ』などのホアキン・フェニックスが、DCコミックスの悪役ジョーカーを演じたドラマ。大道芸人だった男が、さまざまな要因から巨悪に変貌する。『ハングオーバー』シリーズなどのトッド・フィリップスがメガホンを取り、オスカー俳優ロバート・デ・ニーロらが共演。『ザ・ファイター』などのスコット・シルヴァーがフィリップス監督と共に脚本を担当した。
あらすじ
孤独で心の優しいアーサー(ホアキン・フェニックス)は、母の「どんなときも笑顔で人々を楽しませなさい」という言葉を心に刻みコメディアンを目指す。ピエロのメイクをして大道芸を披露しながら母を助ける彼は、同じアパートの住人ソフィーにひそかに思いを寄せていた。そして、笑いのある人生は素晴らしいと信じ、底辺からの脱出を試みる。
映画レポート
ダース・ベイダーに悪感情も恨みもないが、自分はヒール(悪役)の起源を描いた映画を、あまり好ましいものとは思っていない。かつては優しく純粋だった人物が、自己犠牲のすえにやまれず暗黒面へと身を寄せる。そんな綺麗ごとによって正当化される悪に、はたして説得力などあるのだろうか?
ヒーローコミックス「バットマン」の宿敵として登場するジョーカーは、廃液の満ちたタンクに落下し、異貌となった形相が本性を肥大化させ、世界で最も知られるヴィランの一人となった。だが彼の出自を再定義する本作は、そんな固定されたジョーカー伝説とは異質のコースをたどる。心を病み、それでも人々に笑いを提供する貧しい大道芸人が、社会からの孤立や資本主義がもたらす貧富格差といった膿汁で肺を満たされ、呼吸困難からあえぐように悪の水面へと浮かび上がっていく。苦しいのか、それとも開放感から出る笑みなのか分からぬ表情で。
このようにジョーカーこと主人公アーサー(ホアキン・フェニックス)は、自ら道を選んで悪の轍を踏んだわけではない。そこにはダークヒーローなどといった気取ったワードとは無縁の、逃れられない運命の帰結として悪が存在する。人生に選択の余地を与えぬ、容赦ない哀しみの腐臭を放ちながら。
監督のトッド・フィリップスは「ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い」(09)を代表作とするコメディ一辺倒の手練れだが、「全身ハードコア GGアリン」(93)などキャリア初期のドキュメンタリーで得た人間観察の慧眼を助力に、“喜劇”のコントラストとしてそこにある“悲劇”へと踏み込んでいく。なので想定外の人選では決してない。コメディ作家だからこそ到達が可能な、そんな不可触領域にジョーカーは潜在していたのだから。
加えて過去、映像化されたジョーカーの歴任俳優は、それぞれが最高のパフォーマンスをもって役に臨んできた。ホアキン・フェニックスもその例に漏れず、自らをとことんまで追い込みパラノイアを体現することで、狂気の塊のようなキャラクターからつかみどころを見つけ、握った感触を確実にわがものにしている。
“狂っているのは僕か? それとも世間か???“ ドーランを血に代えた、悲哀を極める悪の誕生を見た後では、ジョーカーへの同情が意識を遮断し、もはやバットマンに肩入れすることなどできない。なんと恐ろしい作品だろう。(尾崎一男)
監督 | トニー・スコット |
評価 | 3.91 |
解説
カリフォルニア州ミラマー海軍航空基地。そこにF-14トムキャットを操る世界最高のパイロットたちを養成する訓練学校、通称“トップガン”がある。若きパイロットのマーヴェリックもパートナーのグースとともにこのトップガン入りを果たし、自信と野望を膨らませる。日々繰り返される厳しい訓練も、マーヴェリックはグースとの絶妙なコンビネーションで次々と課題をクリアしていく。しかしライバルのアイスマンは、彼の型破りな操縦を無謀と指摘する。その一方で、マーヴェリックは新任の女性教官チャーリーに心奪われていく。
監督 | フロリアン・ゼレール |
評価 | 4.01 |
解説
世界中で上演された舞台を映画化したヒューマンドラマ。年老いた父親が認知症を患い、次第に自分自身や家族のことも分からなくなり、記憶や時間が混乱していく。原作を手掛けたフロリアン・ゼレールが監督と脚本を担当し、『羊たちの沈黙』などのアンソニー・ホプキンスが父親、『女王陛下のお気に入り』などのオリヴィア・コールマンが娘を演じ、『SHERLOCK/シャーロック 忌まわしき花嫁』などのマーク・ゲイティスや、『ビバリウム』などのイモージェン・プーツらが共演する。
あらすじ
ロンドンで独りで暮らす81歳のアンソニー(アンソニー・ホプキンス)は、少しずつ記憶が曖昧になってきていたが、娘のアン(オリヴィア・コールマン)が頼んだ介護人を断る。そんな折、アンが新しい恋人とパリで暮らすと言い出して彼はぼう然とする。だがさらに、アンと結婚して10年になるという見知らぬ男がアンソニーの自宅に突然現れたことで、彼の混乱は深まる。
映画レポート
気丈な親が、まるで子供のように振る舞い自分を頼るようになる。親子の関係が逆転していくことへの戸惑い、せつなさ、思いの通じないもどかしさ。認知症の家族を持ったことがある人にとっては、きっとよく知る感情に違いない。
下馬評通りアンソニー・ホプキンスがアカデミー賞主演男優賞に輝いた本作は、記憶を失って行く父と、人生の再スタートを切ろうとしている娘の物語だ。自身の著名な戯曲を自ら映画化して監督デビューを果たしたフロリアン・ゼレールは、人間が老いる上で避けられない問題を、親子の絆を通して見つめる。
ホプキンスはこの主人公アンソニーを、彼自身に大きなトラウマを与えた父親を思い出しながら演じたという。あるときはおどけてダンスを踊るかと思えば、次の瞬間、人が変わったかのように不機嫌で攻撃的になる。その驚くべき演技は、悲しみのみならず、ユーモア、軽妙さ、はたまた恐れ、ノスタルジー、悔恨といった感情の幅を自在に行き来する。
ゼレールの脚本が巧みなのは、そこにもうひとつ「過去の亡霊」というテーマを加えることで、親子の関係を一層複雑なものにしたことにある。娘のアンには、じつは亡くなった妹のルーシーがいて、彼女の方が父のお気に入りだった。彼の頭のなかでは、ルーシーはいまだ世界のどこかを旅している。屈辱と憎しみ。アンは父に対する愛憎の狭間で揺れ動く。それを巧みに表現するオリヴィア・コールマンもまた、控えめながらホプキンスに劣らぬ名演を見せている。
もっとも、本作が欧米でこれほど評価された大きな理由は、その映像スタイルにあるだろう。ゼレール監督はこれが一作目とは思えないほど鮮やかに、演劇的な要素を映像的な表現に切り替えている。とくにアンソニーの頭のなかの混乱を、時間感覚が麻痺するようなシチュエーションの反復を用いたり、ふたりの俳優に同じ役を演じさせ他者の認識を曖昧にすることで観客に体感させるのだ。まったく見知らぬ人間が居間にいて、娘の夫だと名乗るかと思えば、見慣れぬ女が娘として振る舞い、夫などいないと主張する。不条理で不確かな世界に身を置く恐怖が、ひしひしと伝わって来る。
結局のところ老いは誰にとっても避けられないものであり、どう老いていくかなど知る由もない。そんな手に負えない難題を冷徹に、しかし細やかな配慮と慈しみをもって描き出す本作は、心に重い錨を降ろす。(佐藤久理子)
監督 | マーティン・スコセッシ |
評価 | 3.89 |
解説
実在の人物をモデルに、少年の頃からギャングに憧れ、その仲間入りを果たした一人の男の波瀾に満ちた半生を、主人公のモノローグを織り込みながら描いた犯罪ドラマ。
監督 | クリストファー・ノーラン |
評価 | 4.22 |
解説
『ダークナイト』シリーズや『インセプション』などのクリストファー・ノーラン監督が放つSFドラマ。食糧不足や環境の変化によって人類滅亡が迫る中、それを回避するミッションに挑む男の姿を見つめていく。主演を務める『ダラス・バイヤーズクラブ』などのマシュー・マコノヒーを筆頭に、『レ・ミゼラブル』などのアン・ハサウェイ、『ゼロ・ダーク・サーティ』などのジェシカ・チャステインら演技派スターが結集する。深遠なテーマをはらんだ物語に加え、最先端VFXで壮大かつリアルに創造された宇宙空間の描写にも圧倒される。
あらすじ
近未来、地球規模の食糧難と環境変化によって人類の滅亡のカウントダウンが進んでいた。そんな状況で、あるミッションの遂行者に元エンジニアの男が大抜てきされる。そのミッションとは、宇宙で新たに発見された未開地へ旅立つというものだった。地球に残さねばならない家族と人類滅亡の回避、二つの間で葛藤する男。悩み抜いた果てに、彼は家族に帰還を約束し、前人未到の新天地を目指すことを決意して宇宙船へと乗り込む。
映画レポート
量子力学や相対性理論は皆目わからない。SF映画(とくにスペースオペラ系)は年々苦手になってきた。CGやVFXにはわれながら冷淡だと思うし、重々しい哲学や宗教的な荘厳さにはついそっぽを向きたくなる。
にもかかわらず、私は「インターステラー」に見入ってしまった。CGの使用を最小限に抑えたのも要因のひとつだが、マシュー・マコノヒーが映画を牽引する力がめざましい。
マコノヒーは、幼い子供たちを残して宇宙に飛び立つ。滅亡が近い地球の代わりに人類の住めそうな星を探査するのが、元宇宙飛行士の彼に課せられた使命だ。ただ、行く先は遠い。ワームホール(時の道穴)を抜けた先には、タイム・ダイレーション(ある星での2年は地球の23年に相当する)が待っている。
砂嵐、火災、巨大な波、凍結した荒地。黙示録的なイメージが頻出することは予期していた。キューブリックに触発されただまし絵のような映像の構築も想定内だった。
驚いたのは、どんなに壮大で奇怪なイメージと交わろうと、マコノヒーの体温がつねに感じられたことだ。しかも彼は、狂気やヒロイズムやニヒリズムといったありがちな要素で芝居を組み立てない。困惑し、悔恨し、落胆しながらも必死で思考し、観客とともに未知の時間と空間をくぐり抜けていく。ノーラン作品の登場人物としては「ダークナイト」のヒース・レジャーに次ぐ奮戦だ。彼を見ていると、相対性理論も少しはわかったような気になる。(芝山幹郎)
監督 | クリストファー・ノーラン |
評価 | 3.68 |
解説
『ダークナイト』シリーズや『インセプション』などのクリストファー・ノーラン監督が描くサスペンスアクション。「TENET」というキーワードを与えられた主人公が、人類の常識である時間のルールから脱出し、第3次世界大戦を止めるべく奮闘する。主人公を演じるのは『ブラック・クランズマン』などのジョン・デヴィッド・ワシントン。相棒を『トワイライト』シリーズなどのロバート・パティンソンが務め、マイケル・ケイン、ケネス・ブラナーなどが共演する。
あらすじ
ウクライナでテロ事件が勃発。出動した特殊部隊員の男(ジョン・デヴィッド・ワシントン)は、捕らえられて毒を飲まされる。しかし、毒はなぜか鎮静剤にすり替えられていた。その後、未来から「時間の逆行」と呼ばれる装置でやって来た敵と戦うミッションと、未来を変えるという謎のキーワード「TENET(テネット)」を与えられた彼は、第3次世界大戦開戦の阻止に立ち上がる。
映画レポート
「ダークナイト」(08)以後の興行的成功を手形に、ハリウッドで作家性を堅持するクリストファー・ノーランの最新作。映画史上最大の上映規格であるフィルムIMAXを自作に用い、観客に没入感の深い視覚的トリップを提供。代わりにエンタテインメントにありながらも実験色の濃い、ノンリニアな構造を持つ物語への取り組みを正当化させている。スタジオ主導では通りにくいハイコンセプトな企画を成立させ、観る者の脳を沸騰させるがごとき知の極地へと誘う。
作品のジャンルはノーラン自身の、「007」シリーズへの憧れを隠そうともしないスパイものだ。だが主人公(ジョン・デヴィッド・ワシントン)の前に立ちはだかる相手は、時の流れを逆行し、過去に干渉してくる未来人だ。そんな連中の未知なる素性を明かすために、世界を縦断する大アクションが展開され、彼は驚愕ともいえる敵の最終目的を阻止せねばならない。そして映画はジェームズ・ボンドとは違う独自性と、SF成分強めな燻煙を放っていく。
こうした監督の時間への執着は、「メメント」(02)の時系列を逆につないでいく編集で広く知られ、「ダンケルク」(17)ではそれを変質させ、スパンの違う三者のエピソードを縒り合わせた構成を披露。今回は時間の流れが異なる多層空間を描いた「インセプション」(10)ばりに、順行時間と逆行時間の衝突をドラマの軸芯に用いている。逆へと流れていく運動にあらがい、主人公たちが順行していく絵ヅラは面妖だ。しかし同時に驚くべきは、それを撮るための手法の数々だろう。うちひとつはフィルムIMAXによる逆回し撮影だが、そのために機構の定まった同カメラに改良をほどこすなど、デジタル時代にアナログの性能を上げ、映画技術の常識も劇中並みに逆行して変えているのだ。
「意識高すぎノーランくんの俺ルールにお手上げだぜ」と、初見は置いてけぼりを食うかもしれない。事実、上映中は眼前で起こっている平衡の崩れが、どういう規則性に基づくものなのかを消化するのに呑み込みづらさを覚える。とはいえ多くの日本人が「ドラえもん」などで時間テーマの基礎を叩き込まれているだろうから、後々「なんだそういうことか!」と全貌を把握できるだろう。けれど頭で理解するのは家に戻ってからでいい。まずは巨大スクリーンの前に身を置き、観る者を翻弄する奇観なビジュアルと、特殊すぎるレイアウトにどっぷりと浸ろう。そのうえで納得がいくまでリピートするもよし、久しく離れていた劇場体験の“極”たるものとして、ノーランの野心作は理屈以上の興奮を与えてくれる。(尾崎一男)
監督 | マーティン・スコセッシ |
評価 | 3.53 |
解説
巨匠マーティン・スコセッシが、香港映画『インファナル・アフェア』をリメイクしたアクションサスペンス。マフィアに潜入した警察官と、警察に潜入したマフィアの死闘がスリリングに描かれる。レオナルド・ディカプリオとマット・デイモンが主人公の警察官とマフィアをそれぞれ熱演。名優ジャック・ニコルソンがマフィアのボス役で脇を固める。ボストンを舞台に描かれた本作は、スコセッシ監督らしいバイオレンスシーンと、敵対組織に潜入した男ふたりの心理描写に注目。
あらすじ
犯罪者の一族に生まれたビリー(レオナルド・ディカプリオ)は、自らの生い立ちと決別するため警察官を志し、優秀な成績で警察学校を卒業。しかし、警察に入るなり、彼はマフィアへの潜入捜査を命じられる。一方、マフィアのボス、コステロ(ジャック・ニコルソン)にかわいがられて育ったコリン(マット・デイモン)は、内通者となるためコステロの指示で警察官になる。
映画レポート
「グッドフェローズ」以来、久々にホレボレするクライムストーリーだ。ワルとデカが互いに“ネズミ”(潜入者)を送り込んだことから悲劇を招く。筋立てはご存じ香港スリラー「インファナル・アフェア」の焼き直しだ。だが物語ばかり追いかけると見逃してしまう、映画の醍醐味がこの映画にはある。それは、独特のリズムとビートを刻む魔術的なカメラワーク(撮影)と、圧倒的な「プロテクション・ショット」から選ばれた神業のようなカッティング(編集)だ。いかにもスコセッシ映画らしい、カトリック的罪悪感やアイルランド系移民(マイノリティ)の叫びが通奏低音として響きあい、オリジナルとひと味違う。
ディカプリオもニコルソンも、スコセッシ好みの“重層的”でカラフルなキャラクターで、彼らの黒いアンサンブルが不気味なハーモニーを奏でる。また、ローリング・ストーンズ「ギミー・シェルター」、ピンク・フロイドの名曲「コンフォタブリー・ナム」、ロイ・ブキャナンの超絶ギターにシビレる「スウィート・ドリームス」、ハワード・ショア作曲のタンゴ調テーマ曲(ドブロの旋律が最高)といったゴキゲンな音楽が人物をリズミカルに躍動させる。その1曲1曲に、映画的かつ音楽的“引用”がある。その秘密を知るとき、得体のしれない魔力に襲われるのだ。(佐藤睦雄)
監督 | ピーター・ファレリー |
評価 | 4.49 |
解説
黒人ピアニストと彼に雇われた白人の用心棒兼運転手が、黒人用旅行ガイド「グリーンブック」を手に人種差別が残るアメリカ南部を巡る人間ドラマ。『はじまりへの旅』などのヴィゴ・モーテンセンと、『ムーンライト』などのマハーシャラ・アリが共演。『メリーに首ったけ』などのピーター・ファレリーが監督を務めた。アカデミー賞の前哨戦の一つとされるトロント国際映画祭で、最高賞の観客賞を獲得した。
あらすじ
1962年、ニューヨークの高級クラブで用心棒を務めるトニー・リップ(ヴィゴ・モーテンセン)は、クラブの改装が終わるまでの間、黒人ピアニストのドクター・シャーリー(マハーシャラ・アリ)の運転手として働くことになる。シャーリーは人種差別が根強く残る南部への演奏ツアーを計画していて、二人は黒人用旅行ガイド「グリーンブック」を頼りに旅立つ。出自も性格も違う彼らは衝突を繰り返すが、少しずつ打ち解けていく。
映画レポート
アメリカでは「ドライビング・MISS・デイジー」になぞらえて語られがちだが、それよりもテイストが似ているのはフランスのコメディ映画「最強のふたり」の方だろう。時代や人種差別の社会背景的にはもちろん前者と重なるが、この2人はもっとユーモラスで、簡単に響き合うからだ。生い立ちも性格も正反対、お互いへの嫌悪感を隠そうともしなかった白人と黒人が、徐々にお互いへの理解を深め、自分にない長所を尊重して認め合う。このプロセスを見るのは、なんて心地いいものなんだろう! ピーター・ファレリー監督はこのシンプルなドラマを素直に、丁寧に紡ぎ出し、この上なくいい気分にしてくれる。
“グリーンブック”とは50年代から60年代、人種差別の激しかった南部に旅をする黒人のために作られた施設利用ガイドのこと。1962年、イタリア移民でマフィア御用達のクラブ用心棒だったトニー・リップことバレロンガはこのガイドを渡され、イヤイヤながら新しい仕事に就くことになる。カーネギーホールに住む黒人天才ピアニスト、ドン・シャーリーの南部演奏ツアーに運転手兼ボディガートとして同行するのだ。
知的な芸術家で品がよくて繊細なのが黒人、無知なマッチョで単純かつガサツなのが白人と、従来の映画とは設定が逆なわけだが、彼らは実在の人物であり、ベースは実話。このキャラクターの描き方が面白い。ドンを演じるマハーシャラ・アリは想定内の好演だが、驚くべきはトニー役のビゴ・モーテンセン。「ロード・オブ・ザ・リング」のアラゴルンでおなじみの彼は、デンマーク生まれで哲学者のような、詩人のようなパーソナリティの持ち主なのだが、化けた。「ケンタッキーっていやぁケンタッキー・フライド・キチンだろ!」とチキンを頬張るトニーのガハハ笑いを、好きにならずにいられるか? この2人の化学反応は、映画の美点そのものと言える。
とにかくこの映画、人種差別をテーマにした作品としては、あり得ないほど口当たりがいいのである。心が痛くなるような場面もあるにはあるが、全体的には白人寄りの目線だし、スパイク・リーなら「暢気すぎるだろ!」と怒っているかもしれない。それもそのはず。だってこれはトニー・リップの息子、ニック・バレロンガがプロデュースと共同脚本を手がけ、「父から聞かされたいい話」を映画化した作品だから。つまり「いい話」を「いい話」として伝えることに重点が置かれているのだ。ここを物足りない、という人もいるだろう。しかしラストの多幸感は格別。多くの観客にとって、最高に愛すべき映画であることに間違いはない。
監督 | ジョシュ・クーリー |
評価 | 3.54 |
解説
人間とおもちゃの物語を描き大ヒットした『トイ・ストーリー』シリーズ第4弾。外の世界へ飛び出したおもちゃのフォーキーとウッディたちの冒険を描く。『インサイド・ヘッド』の脚本に参加したジョシュ・クーリーが監督を務め、吹替版のボイスキャストはウッディ役の唐沢寿明をはじめ、所ジョージ、日下由美、辻萬長らが続投する。
あらすじ
ある日ボニーは、幼稚園の工作で作ったお手製のおもちゃのフォーキーを家に持って帰る。カウボーイ人形のウッディが、おもちゃの仲間たちにフォーキーを現在のボニーの一番のお気に入りだと紹介。だが、自分をゴミだと思ってしまったフォーキーはゴミ箱が似合いの場所だと部屋から逃亡し、ウッディは後を追い掛ける。
映画レポート
子供のころに「トイ・ストーリー」シリーズと出会えなかったこと、残念だなぁと思う。と同時に、このシリーズほど大人向けのディズニー/ピクサー作品もないと思う。しかし、4作目ができると聞いたときには仰天した。「3」の完璧すぎるエンディングの後で、何を語っても蛇足になっちゃうんじゃないのか?
だが、ピクサーのポリシーは「ストーリーこそ王者」。彼らが「語るべきストーリーがある」と言うなら信じてみるべきだ。
幕開けは、アンディからウッディやバズたちを譲り受けたボニーの部屋。あれほどアンディに愛されたウッディも、いまはボニーのお気に入りとは言えない。それでもボニーのために献身的なウッディに泣けてくる。1作目、アンディのお気に入りNo.1の座をバズに奪われると危機感をもった彼は、バズを追い落とそうと躍起になった。が、本作のウッディはボニーが自分で作ったプラフォーク製おもちゃ、フォーキーに対して真逆のことをする。「僕はゴミだ」と、すぐゴミ箱に入りたがるフォーキーを連れ戻し、「君はボニーに必要なおもちゃなんだ」と説得。なんという成長か!
やがて旅行中にフォーキーを追って車を飛び出したウッディは、アンティークショップで数年前に別れたボー・ピープと再会。ここからのアドベンチャー&ロマンスには、心奪われずにはいられない! 店での「誰にも愛されたことのない」人形たちは、シリーズお約束のホラー風味を醸し、「恐っ!」と同時に哀れを誘う。
それにも増して映画を愛すべきものにしているのは、さらなる新キャラのコメディリリーフぶり。射的景品のモフモフコンビ、ダッキー&バニーの毒おっさんキャラは最高だし、カナダのスタントマン人形、デューク・カブーン(声はキアヌ・リーヴス!)が反則級の面白さ!
過去最高の爆笑と並行して、「人生」についての物語をエモーショナルに綴るストーリーテリングには、またしても仰天だ。自分の役割は何か? 立場が変わったとき、その先の道をどう選ぶのか? アンディとのラブストーリーに終止符を打ったウッディの葛藤には、誰もが自分を重ねて考えさせられるだろう。迎える結末には泣かされるが、そこには新たな可能性と希望があふれている。
では「4」は「3」の結末を超えたのか? というトイには、「イエス」とは答えにくい。シリーズを愛してきた人間からすると「なぜ?」と思わされる部分もあるからだ。だから「これで最後」という言葉は是が非でも撤回してほしい。もっともっとファンが満足する物語と結末を、ピクサーなら生み出してくれると信じている。
監督 | ジェイ・ローチ |
評価 | 3.48 |
解説
2016年にアメリカのテレビ局FOXニュースで行われたセクシュアルハラスメントの裏側を描いたドラマ。テレビ局で活躍する女性たちをシャーリーズ・セロン、ニコール・キッドマン、マーゴット・ロビー、数々のセクハラ疑惑で訴えられるCEOを『人生は小説よりも奇なり』などのジョン・リスゴーが演じる。『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』などのジェイ・ローチがメガホンを取り、『マネー・ショート 華麗なる大逆転』などのチャールズ・ランドルフが脚本を手掛けた。
あらすじ
大手テレビ局FOXニュースの元人気キャスター、グレッチェン・カールソン(ニコール・キッドマン)が、CEOのロジャー・エイルズ(ジョン・リスゴー)をセクハラで提訴する。メディアが騒然とする中、局の看板番組を背負うキャスターのメーガン・ケリー(シャーリーズ・セロン)は、今の地位をつかむまでの軌跡を振り返って動揺していた。一方、メインキャスターの座を狙うケイラ・ポスピシル(マーゴット・ロビー)は、ロジャーと対面する機会を得る。
映画レポート
原題は爆弾や砲弾を意味する“BOMBSHELL”。スキャンダルを発信するメディアのスクープのことを呼ぶ流行の“○○砲”の砲のことだ。魅力的な女性という裏の意味もある。
ここでぶっ放されるのは、全米で視聴率トップに君臨する保守系の大手ニュース専門局、FOXテレビで起きた、CEOによる女性キャスターたちへの衝撃のセクハラ・スキャンダル。2016年に起きた実話の映画化だ。
勇気を持って裁判を起こしたのは、CEOロジャー・エイルズ(ジョン・リスゴー)の誘いを断ったことから干され、解雇された有名キャスター、グレッチェン・カールソン(ニコール・キッドマン)。だが、この映画の本質は、悪質なセクハラを長年続けてきた業界の老害モンスターによるセクハラ事件の糾弾や成敗という、単純な部分にはない。
映画の中心人物はグレッチェンのライバルで、FOXニュースのトップ・キャスターの座にあるメーガン・ケリー(シャーリーズ・セロン)。彼女は女性蔑視が顕著な大統領候補ドナルド・トランプを討論会番組で追及したことから、トランプの目の敵にされ、トランプ支持者の攻撃にさらされる中、かつてエイルズから受けたセクハラを公表すべきか苦悩する。
つまりこれは、2016年、ドナルド・トランプがまさかの躍進で大統領になってしまいそうな悪夢が現実のものとなろうとしていた当時を舞台に、弱肉強食の巨大メディアという戦場の最前線で、強く、美しく、知的な女性たちが、上司やライバルと繰り広げる過酷な激闘の日々を、まるでアクション場面のない格闘技映画や戦争映画のように、パワフルに描いた見応えのある“闘う女性映画”なのだ。
圧巻は特殊メイクで実在の本人ソックリになりきったセロンとキッドマンの白熱の演技合戦、野心家の新人を演じる絶好調マーゴット・ロビーも大健闘だ。そして、異様な迫力で欲望と権力の妖怪エイルズを演じて完璧なリスゴー。その醜い姿には、今年再選を狙うトランプがダブって見えてくる。
製作も兼ねるセロンをはじめ、作り手たちの本音もまさにそこにあるのだろう。この作品に込められた裏メッセージは、明らかに“嫌トランプ”だ。その意味でもこれは勇気ある必見作である。
「ウィンストン・チャーチル ヒトラーから世界を救った男」に続き2度目のアカデミー賞を受賞したカズ・ヒロによる特殊メイクがまた凄い。名優たちを実在の人物とうりふたつに変身させたその驚きの技術だけでも一見の価値がある。(江戸木純)
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