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アカデミー賞 国際長編映画賞(外国語映画賞) 受賞作品。これまでにトマス・ヴィンターベア監督のアナザーラウンドや、パク・ソジュンが出演するパラサイト 半地下の家族、ROMA/ローマなどが受賞しています。
原題/別名:Amour
上映日 | 2013年03月09日 |
製作国 | フランス、ドイツ、オーストリア |
上映時間 | 127分 |
ジャンル | 恋愛 |
スコア | 3.9 |
監督 | ミヒャエル・ハネケ |
脚本 | ミヒャエル・ハネケ |
出演者
ジャン=ルイ・トランティニャン、エマニュエル・リヴァ、イザベル・ユペール、アレクサンドル・タロー、ウィリアム・シメル、ラモン・アギーレ、リタ・ブランコ、カロル・フランク、ディナーラ・ドルカーロワ、ローラン・カペリュート
感想・評価
1.もう10年以上前の報道になるかと思うのですが、この映画を振り返るたびに日本で老夫婦が焼却炉に入り自死したニュースを抱き合わせるように僕は思い出すことになります。妻の介護に限界を感じた夫が残した遺書の書き出しは「今日僕たちは旅立とうと思う」でした。どれほどの苦しみだったかは分からない(としか言ってはいけないと思うことは最低限の節度だろうと思います)のですが、青く澄んだ空を思わせる妻へのその思いに僕はひそやかに憧れもしました。だから(とはいえ)ミヒャエル・ハネケによるこの作品に流れる本質は、リアリズムではなくむしろロマンティシズムのように思います。こんなふうに添い遂げることもまた、夫婦のあり方として1つの美しい完成を見るような思いがします。周囲から見て幸福そうに見えることと、内的に何かを完成させることとは、真逆の道をいくことは間違いなくあるはずです。
映画の中で演奏されるシューベルトは、白昼夢のような生の中に深淵を覗き込むような死の予感を響かせた作曲家(作品に少し顔を出すアレクサンドル・タローは、たいへん知的なアプローチで演奏活動しているフランス人ピアニスト)。即興曲作品90-3は21年前の結婚式で妻に弾いて贈ったこともあり、僕にとっては思い入れの深い曲です。そしてつい先日まで、僕は日本で報道された夫婦や本作の夫婦を理想のように思っていたところがあります。しかしながらある年齢を過ぎてからは、僕は妻への信頼を失いつつあります。浮ついた言葉で言い表すなら21年間に渡って僕は彼女のことを変わることなく(もしくは変わりながら)愛し続けてきましたし、22年目を迎えたこれからもそうするだろうと思います。けれど愛することと信じることはまた少し異なります。たぶん僕は、持続させてきた愛の強さと深さによって、彼女の人としての器を追い越してしまった。この感覚は分からない人には決して分からないでしょうし、分からない人と僕が何かを分かち合うことは本質的に不可能だろうとさえ思います。僕はその孤独に耐えていく準備をしなければならない。
2.いい映画。内容の良し悪しとは全く別に、ハネケの作品と思って観ると、他の作品にある怒りみたいな要素があまり感じられなかったのと、死が救いというのがかなり分かり易く優しくて、少し意外だった。
3.いやはや・・・やっぱりスゲェよハネケ!前〜中盤はハネケにしちゃあマイルドだなと思ってたらラスト10分でドカンと来たあの幕切れも凄く好き脇の脇に至るまでキャストが名優揃いイザベル・ユペールもトランティニャンも巧かったけどエマニュエル・エヴァが圧倒的何かもう・・・凄かった
4.枕元に物が増え、徐々に意思疎通ができなくなってく過程に、親がやっていた祖父母の介護を思い出して辛い。夫と妻の台詞を正面から撮り、交互につなげて会話を表現していたが、だんだんと横から二人画面に収めたショットに変わっていくのが印象深い。
5.見たあと感想書こうとしても思い出して涙が出てしまう…。最初に消防隊が部屋を開ける。そんな開けられないの?って思ったけど主人公が妻を殺したあと目張りとか色々してたからかぁと。お花に囲まれて喪服。最初のシーンが繋がるのはビックリして、もっかいエンドロールのあと最初のシーンを見た(DVDの良いところ)。ところで、ラストは二人でお出かけするところだけど、あれは主人公も妻を殺したあと自殺したってことでいいのかな?二人で旅立ったってことかな?介護疲れとか言われたりして、殺してしまう高齢者の人のニュースは毎年見かける。そのたびに、こういうのは犯罪者になるのかとか、色々議論されている。胸が痛い話。誰かに任せればいい、で終わる問題でもないが日本だと「お金がない」だとか「頼れる人がいなかったのか」とか言われてて、こちらの作品は娘さんもいるしお二人とも元音楽家で高級住宅街の設定らしいのでお金は十分にあるけども…といったところに少し「愛」の歪さも感じられた。
年を取って頑固になるというのもあるのかもだけど愛するがゆえに他の人を信用できない、離れたくない、けれどもうこれ以上…なところかなぁ。枕で窒息死させる前に思い出を語っててそのまま殺そうとしたから泣いてしまった?人間って難しいなぁ仕事を選んだり趣味を選んだりパートナーを選んだりご飯を選んだり寝具を選んだりお洋服を選んだり色んなことを生きてる間に自分で選べるのに死に方は自死以外は日本では選べないよね。死ぬ前にこういうラストと思い描けるけどそれを実行できる人がどれだけいるのか。疲れる前に、みんなが財力関係なく老人ホームに入れる社会ってのは理想すぎだけど、どうにかならんもんかな。二人では入れたら良かったのにってこの二人見て思った。よく政治とかもわからんなかどーなるかもわからず年金払ってるねんけどぉ…とか思ってしまったよ。エンドロール音楽が流れないぶん、ものすごく色々考えてしまった。
原題/別名:LES INVASIONS BARBARES/The Barbarian Invasions
製作国 | カナダ、フランス |
上映時間 | 99分 |
ジャンル | ドラマ |
スコア | 3.3 |
監督 | ドゥニ・アルカン |
脚本 | ドゥニ・アルカン |
出演者
レミー・ジラール、ステファン・ルソー、マリ=ジョゼ・クローズ、マリナ・ハンズ、ドロテ・ベリマン、ルイーズ・ポルタル、ドミニク・ミシェル、イヴ・ジャック、ピエール・キュルジ、ロイ・デュプイ、イザベル・ブレ
感想・評価
1.全体的に皮肉っぽい印象。好き嫌いが分かれそう。亡くなっていく父親は死に意味を見合い出そうとしてたけど、死の意味なんてあるのかな?と思った。2021-649#アカデミー賞外国語映画賞
2.TSUTAYAで観ました。死に方について、考えることが出来ました。
3.アカデミー賞国際長編映画賞(外国語映画賞)受賞作品…安楽死が選択出来るって良い事だと思う
4.あけっぴろげな会話や愛人も家族もみんな一緒に集う感じは日本人が見たらかなりびっくりするし受け付けない人もいるかとは思いますが、ラストの展開がとても衝撃的で心に残る映画でした。ただ、これは息子が成功してるから出来る事であり、現実的ではないかと思います。(あと、息子と父の仲が悪い設定にしては意外とすぐ仲直りしたなと思いました)自分や身近な人の最期について考えさせられる映画でした。
5.ガンを持ったお父さんの最期を親戚たちが見届ける話。平穏そうな内容に見えて下品なワードいっぱい語るんだが、後半で死への恐怖や疑問を深く考えだす主人公が人間的で面白く、純粋に人生楽しかったんだねと思った。ヘロインのストーリーはそんなに描かなくても良かった気がする。#カンヌ国際映画祭受賞作品
原題/別名:TSOTSI
製作国 | 南アフリカ、イギリス |
上映時間 | 95分 |
ジャンル | ドラマ |
スコア | 3.5 |
監督 | ギャヴィン・フッド |
脚本 | ギャヴィン・フッド |
出演者
プレスリー・チュエニヤハエ、テリー・フェト、ケネス・ンコースィ、モツスィ・マッハーノ、ゼンゾ・ンゴーベ、ZOLA、ジェリー・モフケン、イアン・ロバーツ
感想・評価
1.過去鑑賞愛を求めるツォツィが、一生懸命に赤ちゃんを守ろうとする姿が切なかった。
2.過去メモ記録。力強い。 赤ん坊は無垢だ。世話が焼けるけど、大人になった自分にはまぶしいものがある。生きる理由がわからなくなってきていた主人公のもとに訪れた赤ん坊の存在が彼を浄化していくわけだが、彼自身は悪い人間だけど、絶対に存在意義が無いなんて言いたくないし、思いたくもない。力強く、恐ろしさも混じった主人公の眼差しが、徐々にやさしさと寂しさに満ち溢れ、赤ん坊の温もりに今まで感じたことのない、それか忘れてしまったであろう感情を覚える。人間はやさしさを知らずに生きれば冷徹な殺人気にでもなりうる動物だが、ひとつ、何かひとつの"甘さ"(この映画だと赤ん坊)を知ると一気にその強い部分が脆さに変わるだなと感じた。 主演のプレスリーチュエニヤハエが素晴らしかった!最初とラストの彼の目、奥底にある光がまったく違う。2人で1人を演じてたんじゃないかと思うほど、圧倒された。身勝手な行動に出ていた主人公を、心揺さぶられる魅力ある人物に変貌させていた。
3.良かった。主人公ツォツィの表情に泣ける。彼の表情が段々変わってきて印象深いシーンが多い。過去は消せないけどいつかやり直したいと夢見ていたのだろう。教育や温かい普通の家庭を求めたいと気付いていったんだろうなと思った。
4.拾ったというかなんと言うか。笑置き去りにしとけば秒で話が終わったのではないかと夢のないことを思ってしまった。ただ、慣れない手つきで赤ちゃん育てて、不器用に成長していく姿はなかなか思うところがあった。貧困、そして黒人。なかなか根深い問題だな。#貧困問題ss#アフリカ映画ss
5.赤ん坊に対する愛情がせつない。。。最後のエンディングにて番外編がいくつかあるのがどれも考えさせられる。
原題/別名:IDA - FORMERLY SISTER OF MERCY
上映日 | 2014年08月02日 |
製作国 | ポーランド |
上映時間 | 80分 |
ジャンル | ドラマ |
スコア | 3.9 |
監督 | パヴェウ・パヴリコフスキ |
脚本 | パヴェウ・パヴリコフスキ |
あらすじ
60 年代初頭のポーランド。孤児として育てられた少女はある日院⻑から叔母の存在を知らされる。一度も面会に来ない叔母に興味を持ったアンナは彼女を訪ねるが、そこで叔母の口から知らされた言葉に衝撃を受ける。「あなたの名前 はイーダ:レベシュタイン、ユダヤ人よ。」突然知らされた自身の過去。私はなぜ、両親に捨てられたのか?イーダは叔母とともに出生の秘密を知るために、旅に出ることに・・。
出演者
アガタ・クレサ、アガタ・チェブホウスカ、ヨアンナ・クーリグ
感想・評価
1.1960年代のポーランド、戦争孤児として修道院で育ったアンナが初めて会う叔母と共に自身のルーツを探す旅に出る静かで寒々しいモノクロの映像に映し出されるアンナの虚ろな瞳が、己が何者かを知り自らの歩む道を見据えた瞬間に力強く輝くユダヤ人の悲劇を二人の女性を通して描いた秀作
2.ルーツを辿ることで浮かび上がる悲しい過去。叔母さんのやるせなさが苦しい。モノクロの画が美しく、COLD WARを思い出した。(途中で寝てしまったから全部観てないんだけど…)
3.観終えて数日経って思い浮かぶのは、終始イーダの表情の変わらなさ。そして決断。イーダが自身のルーツを辿る。自分の中の変化を感じつつも決断に至る思いは、失った人たちへの思いが、生きていかなければならないんだという、強い表れ、信仰心なんだと理解した。そう思いたい。あの時代に生きてたイーダだから。戻ってしまった思いはどれほどのものだったのか
4.孤児として修道院で育ったアンナは唯一の肉親の叔母に会った事で自分がイーダと言う名前でユダヤ人だった事を知り自分のアイデンティティを探し始めるユダヤ人迫害と庇いきれずに殺害するホロコーストによる悲劇がここにもあったモノクロの美しい景色とイーダの覚悟を決めたラストの表情が印象的
5.途中からイーダが宮崎あおいに見えてきた?数日間でいろんなことを知る少女数日間で人生に決着をつける叔母ずっと自責の念の中で生きてきたのだろうな〜1番気の毒なのは青年かな?儚い恋でした❤️凄く濃い数日間の中にいろんなことが詰まっているイーダの凛とした感じとモノクロがいい感じ✨
原題/別名:Una Mujer Fantástica/A Fantastic Woman
上映日 | 2018年02月24日 |
製作国 | アメリカ、ドイツ、スペイン、チリ |
上映時間 | 104分 |
スコア | 3.6 |
監督 | セバスティアン・レリオ |
脚本 | セバスティアン・レリオ、Gonzalo Maza |
あらすじ
チリ、サンティアゴ。トランスジェンダーでナイトクラブのシンガー、マリーナは歳の離れたボーイフレンドのオルランドと暮らしていた。マリーナの誕生日を祝った夜、自宅に戻ると突然オルランドの意識が薄れ亡くなったことで、マリーナは思いもかけないトラブルに巻き込まれていく。それでもマリーナは女性として生きていく権利を胸に、自分らしさを守るための闘いに挑むことを決める。
出演者
ダニエラ・ヴェガ、フランシスコ・レジェス、ルイス・グネッコ、アリン・クーペンヘイム、アンパロ・ノゲラ、ネストル・カンティリャーナ、アレハンドロ・ゴイク、アントニア・セヘルス
感想・評価
1.授業で風とか鏡の描写が細かくマリナの心情を映し出してると思った。社会の冷たい視線の中で苦しくも強く生きるマリナを見て勇気をもらった。意図せずに自分も社会の差別、偏見に加担しているかもしれないということを忘れないようにしたい。あとnatural woman の曲が何度聞いても好き
2.これもまた良い。またお前らか!と差別的な目を向ける人たちに思ってしまった。マリーナへの受難の数々は詰め込んではいるけど、決してリアリティに欠けないと思える。
3.共感できる類のものではないし勧めたい作品でもないけど、映画として好きなやつだった。危ういなあ。
4.彼女を”怪物”だとも言ってたけどやつらのほうがよほど怪物に見えるそして誰もがその怪物になりかねない見つけた鍵で開けたその中身が示す意味
5.私には少し難しすぎたかも…終始、胸が苦しかった。主人公目線で見ると前妻?とかブルーノのこと酷い人達と思う。ガボもなんか故人の弟で1番繋がりが強くて発言権みたいなものがありそうなのにダメダメだし…周りの目もね…。でも私も人のこと言えないのかなって思った。街中でトランスジェンダーの方が居たとしたら、別に悪い意味ではなくても無意識でも見てしまってると思う。やっぱり他とは違うというか…。やっぱり固定観念を取り去るのは時間がかかるし、全ては取り去るのはことはできないから…生きづらい社会だなと感じた。でも、最後の歌のシーンでのびのびと歌っていてやっと自分を取り戻せたのかなと思った。亡くなったじいちゃんもそこが好きな理由の一つだったような気がするし…愛する人に最後の挨拶が出来ないって辛いね…当たり前にできると思っていたから…すぐに見れる距離に居るのに行けない…辛すぎるな…風に吹かれるシーンがマイケルジャクソン並みだなとか思ってしまっていた?
原題/別名:Forushande/The salesman
上映日 | 2017年06月10日 |
製作国 | フランス、イラン |
上映時間 | 123分 |
スコア | 3.6 |
監督 | アスガー・ファルハディ |
脚本 | アスガー・ファルハディ |
あらすじ
作家アーサー・ミラーの戯曲「セールスマンの死」の舞台に出演中の夫婦。夫は教師をしながら、小さなの劇団で妻とともに俳優としても活動している。ある日、引っ越ししたばかりの自宅で、夫の留守中に妻が何者かに襲われ、ふたりの穏やかだった生活は一変する。事件を表沙汰にしたくないと警察への通報を拒否する妻の態度に納得できない夫は、自分自身で決着をつけるべくひそかに犯人捜しを続ける。演劇と犯人探し、夫婦の感情のずれがスリリングに絡み合い、やがて物語は思わぬ展開に…。
出演者
シャハブ・ホセイニ、タラネ・アリシュスティ
感想・評価
1.この監督、夫婦間の気まずさを表現するのがうまいなと思う!ラスト、犯人が判明したけど容態がどうなったか分からない。その後の夫婦間がどうなったか分からない。犯人家族の前で告白しなかったことが救い!それと主人公のシャハブ・ホセイニ。前作、『別離』で演じた短気で暴力的な人から、今回、国語の先生を演じられてのギャップ!
2.ファルハディが一貫して描いているのは広義の意味での「近代的自我」の行方であり、祖国イランの歩みを深く響かせながら登場人物たちに宿る空虚さを重要なテーマとしているように僕には思えます。ですからこの作品のタイトルが『セールスマン』となっているのはアーサー・ミラーによる戯曲『セールスマンの死』(1949年)から採ったものですが、どのような『セールスマン』的な状況が描かれているのかを僕たちは観ていくことになります。『彼女が消えた浜辺』(2009年)では宗教国家としてのイランの因習を含ませながらも、ほんとうに描いているものは何と対峙しているのか分からなくなる空虚さであり、『別離』(2011年)ではその因習から逃れようとする妻と留まろうとする夫(引き裂かれる子供)を。『ある過去の行方』 (2013年)では一見すると自由を手にしたように見えながらも自意識の空白にとらわれていく姿をそれぞれに描いているように思います。これらの作品は連作としても機能しており、因習(のように見える何か)から逃れようとしながらも、自由社会のなかにも居場所はなくイランへと帰国する円環構造をとっているようにも僕には感じられます。
そしてアーサー・ミラー『セールスマンの死』もまた、当時のアメリカの「現代」社会がもたらす絶望を描いたものでした。その『セールスマンの死』の主人公ウィリーが、過去の栄光にすがりながらも仕事を失い絶望していく象徴として描かれているように、本作の高校教師エマッドもまた、夫としての(宗教的な因習による)誇りにとらわれるあまり妻の心を失っていくことになります。やがて『セールスマンの死』の妻リンダが夫の死によって家のローンを払い終えるという虚しさを味わうのと同じく、本作の妻ラナもまた誇りのあまり人間性を失っていく夫によって事件の解決をみることになります。妻を襲った犯人は誰なのか?こうした謎(ミステリー)によって物語に推進力を与えながらも、実はその謎には意味がないというのは、空虚さを演出していくファルハディの作風としてほんとうに見事だと思います。印象としてはいわゆる「モヤモヤ感」になるのでしょうけれど、意味合いとしてはそれこそが空虚さがもつ肌合いだろうと思います。この夫婦は趣味として劇団に所属しておりアーサー・ミラーの作品を演じるのですが、1つには作品解説として機能させながら、他方では「因習と現代(モダニズム)」に揺れ動く姿としてたいへん有効に機能しているように感じます。モダニズムの意識とはいつでも「演じる」という理性の二重構造のうちに現れるからです。そのようにファルハディの洞察はチェーホフのそれと同じく、モダニズムの憂鬱な円環のなかに閉じられていきます。
3.この奥さんのように人を許せる強い心を持ってる人は少ないんじゃないのか本当に嫌なものは一切関わりたくないって言うふうにも見えますねでもあのジジイに対しての怒りは正しいものだと思う
4.暴行されたことを公にしたくない。イランでの女性の立場が分かる映画でした。モヤモヤするラストだけど?
5.人はすぐに正しい・間違っているという判断を割とし勝ちだが、実際は、何が正しくて何が間違っているかなんて、そう簡単にわかるものではないのかもしれない・・・そんな事を考えるには十分なきっかけを与えるくれる作品だった。平穏な暮らしが、事件がきっかけで生じたお互いの気持ちのすれ違いが重なるに連れて、崩れていく。自分の妻が家に侵入してきた男にレイプされて……なんて事はそうそうあるものではないけど、些細な事が積み重なって、二人の間に溝が生じる……というのは、リアルの世界でもよくある事。それぞれの立場で言い分があって、感情抜きで考えると、そのどれもが簡単に却下はできないような説得力を持っているように感じた。(例えば、倫理や法律、という観点から見れば裁かれる人物は明らかだが)人間の弱さ、醜さ、愚かさ、プライド、エゴ、葛藤、恥辱、自己犠牲の精神・・・色々な要素が混じり合い、見事なバランスの上に成り立って、一つの作品を形成している。クライマックスの、妻をレイプされたがその当の妻の頼み(多分「脅し」と言った方が適切)によって、犯人を裁く事ができない状況に立たされた男の、犯人にかました一発の拳・・・それがどんな言葉よりも雄弁に彼の心情を語っているように見えた。妻をレイプされた男のやり場のない怒り,自身の存在意義の喪失,虚しさ。自分の体験を処理できずただひたすらに耐えるしかない妻。そういう部分が「セールスマンの死」と重なっているのだろうけど、「セールスマンの死」をしっかり観たり読んだりした事はないので、そこの繋がりに関してはイマイチよく分からなかった。
原題/別名:NIRGENDWO IN AFRIKA/Nowhere in Africa
製作国 | ドイツ |
上映時間 | 141分 |
ジャンル | ドラマ |
スコア | 3.5 |
監督 | カロリーヌ・リンク |
脚本 | カロリーヌ・リンク |
出演者
ユリアーネ・ケーラー、メラーブ・ニニッゼ、レア・クルカ、カロリーネ・エケルツ、マティアス・ハービッヒ、シデーデ・オンユーロ、メヒティルド・グロスマン
感想・評価
1.教科書には書いてない歴史を知れました。ブルーハーツの青空が聞きたくなりました。
2.2021/1/5ナチの迫害を避けるべく、いち早くアフリカに逃れた夫の手引きで妻と娘もケニアに逃れるところから始まる。そのかいあって、彼らはナチの迫害は受けないが、両親、親族の迫害はニュースや手紙で知るところとなる。ナチ系の映画ではなく、アフリカの自然な大地と民族の素晴らしさ、価値観の違いを感じる作品、当初、受け付けなかった妻はナチ陥落後もアフリカに残りたいと。逆に夫はナチから逃れるためだけだったのか、ヨーロッパに戻りたいと夫婦がギクシャクする。娘はアフリカにもなじみながらイギリスの学校で優秀な成績を収める素晴らしい人間に成長する、なかなか見ごたえのある作品であった
3.ナチスものにしては珍しい、アフリカに逃げた家族の視点まずはあらすじからーーーあらすじーーー■ドイツに住む富裕層ユダヤ人一家、ホテル経営の祖父、父は弁護士、優しく美しい母イエッテル、まだ幼い私レギーナは引っ込み思案な性格1938年、ナチスの台頭によりユダヤ人への差別が強まる。母はドイツの理性がナチスの台頭を許さないと希望を持つが、父はアフリカのユダヤ人協会を頼りに先に彼の地に行っていた。手紙により、大至急アフリカに来るように、宝石、金は持たぬようにと切迫感があった。■祖父はドイツに残ることにした、母方の親戚も皆ドイツに残り母とレギーナは数週間の船旅でアフリカに到着した。■想像を絶する環境の変化に、母はここでは生活は無理といい不機嫌。料理人のオウアは優しく、レギーナはすぐ仲良しになった。父の農場の経営者イギリス人は高圧的な人物で、父にきつく当たった。母はナチスはすぐ終わる、早くドイツに帰りたいというが、父は許さない。二人は険悪に■ドイツの状況は悪化、ユダヤ人教会が放火され収容所に送られる人も。ドイツからの家族の手紙には命の危険を訴えてきたユダヤ人仲間のジェスキントは何かと世話をしてくれた■戦争に突入、敵性外国人の一家はイギリス軍により父が収容所に連れて行かれた。
親切なアフリカ人がドイツ人の女性と子供はホテルでもてなしてくれた。母は、我々はドイツ人であるがユダヤ人であり反ヒトラーであると嘆願し父を外に出そうとしたが、農場をクビになっており無職では釈放されなかった。■ドイツ語のできるイギリス兵が就職の口利きをしてくれることになった。母とは不倫関係にあった無事に父は釈放、新しい農場で働くことになった。■レギーナは学校に行くことに。イギリス人の子供たちから差別を受けるが成績は優秀だった。レギーナはロンガイの男の子と仲良くなった。■ジェスキントと母はいい雰囲気、レギーナは反抗する。イギリス兵との不倫も知っていた。<?以下ネタバレあり?>祖父はドイツ兵に殺され、他の親戚も消息は不明ドイツの配色濃厚であり、父は義勇兵としてイギリス軍に入隊。敗戦後、ドイツで判事の仕事を見つけることができた。■ドイツに戻りたい父、ドイツを信用できず戻りたくない母■イナゴの大群をみんなで追い払った■一家はドイツに帰ることにした。別れを惜しむオウアとレギーナ、港までの列車での移動、途中で止まった時に母はアフリカ人にバナナを1本もらったーーーあらすじおわりーーー???ナチスの迫害を逃れアフリカに逃げた一家の物語というのはなかなか新鮮な視点だった。
冒頭の雪合戦で遊ぶ子供がナチスのバッジをつけているあたりの不穏な雰囲気もうまく出ていた。ただ映画としてなんかしっくりこない。なんだろうな、、と考えてみるとマトリックスのように妙にぐるぐる回るカメラ、、、、急にクローズアップしたり、素早いカットがどうもアフリカの雄大な絵にリズムが合わない。まあ、アフリカの雄大さには長回しというのも単純すぎるのであえて避けたのかもしれないが本作はとにかくカメラがせわしないのである。これは都会のアクションものだよなあ、マイケル・マンみたいなそれはさて置いても、母の人物像がよくわからんかった。良妻賢母が不倫に走るというと『マディソン郡の橋』があるけど、あっちはイーストウッド先生のねっとりとした描写が不倫に傾く気持ちの変化を実に見事に描いていた。一方本作の方は、あっさりとイギリス兵とできてしまって、見ている方としてはあれ、、、こんな人だったんだ、、、という感じになる。あと少女の裸シーン必要なのかね???ということであれこれと気になってしまいなんかしっくりこなかった。料理人のオウア君とレギーナの交流はすごくよかったけどねシュテファニー・ツヴァイクという作家の自伝的小説の題材もなかなかいいので惜しいなあという感想
4.ナチスの台頭により、遠く離れたアフリカの地まで亡命した家族の姿を描いた感動作。文化や言語、人種の大きく異なる場所で懸命に生きる家族の物語を、主に幼い娘の目線を使って描く。苦しみ葛藤しながら、その地の文化に順応し、その地の人々と心を通わせる姿は胸を打つ。様々な困難に直面し、何度も壊れそうになるような脆さも持ちながら、強く繋がっている家族。コミュニティの一員になりながらも、どこか「よそ者」であり続けたからこそ一つひとつの選択に感動が生まれる。蝗害のシーンは圧巻。
5.ワクチン休暇でゲットした余暇を使って鑑賞!『クーリエ:最高機密の運び屋』のペンコフスキー役で良いなと思ったメラーブ・ニニッゼさんが出演しているとの事で観てみた。メラーブさん父親役似合う。クーリエでもあったが、一人で思い詰める表情が上手かった。奥さん・イエッテルの幼稚で我儘な言動に少しイライラ。ヴァルターが言った通り、彼女は典型的な白人の征服思想を持っており、ドイツ国民がユダヤ人に向ける眼差しのごとくアフリカの人々を見ていたり、死を待つ女性に対して取り乱して彼らの文化を否定したりして、まるで自分の考えがこの世で唯一正しいものだと言っているようだった。一方、娘・レジーナは聡明で、子供故にアフリカの文化への適応も早い。彼女みたいな人が次世代を担っていくのだという希望ある展開でほっこり。資本主義でも共産主義でもない思想で暮らしている人々のマインドが新鮮だった。
原題/別名:La grande bellezza
上映日 | 2014年08月23日 |
製作国 | イタリア、フランス |
上映時間 | 141分 |
ジャンル | ドラマ、コメディ |
スコア | 3.5 |
監督 | パオロ・ソレンティーノ |
脚本 | パオロ・ソレンティーノ、ウンベルト・コンタレッロ |
あらすじ
偉大なる美が集う永遠の都ローマ。美の探求者が人生の最後に追い求めたものとは…?真夏の夜の眠らないローマ。ジャーナリストのジェップは俳優、アーティスト、実業家、貴族、モデルなどが集うローマの華やかなセレブコミュニティの中でも、ちょっとした有名人だ。彼は初老に差し掛かった今でも、毎夜、華やかなレセプションやパーティーを渡り歩く日々を過ごしていたが、内心では仲間たちの空虚な乱痴気騒ぎに飽き飽きしているのだった。そんなある日、彼の元に忘れられない初恋の女性の訃報が届く。これをきっかけに、長い間筆を折っていた作家活動を再開しようと決意するが……。
出演者
トニ・セルヴィッロ、カルロ・ヴェルドーネ、サブリナ・フェリッリ、カルロ・ブチロッソ、イアイア・フォルテ、パメラ・ヴィロレッジ、ファニー・アルダン
感想・評価
1.65歳を迎えてもなおセレブコミュニティに入り浸っているジェップが過去の恋人エリーザの死を知り若き日を振り返っていく映画甘い生活や8 1/2をはじめとしたフェリーニ作品にかなりオマージュしているのを感じるエンドクレジット中もローマの長回しシークエンスを見せ最後まで素晴らしい作品だった
2.人は何かを成し遂げるために生きているのではない。その時何を感じるかを大切にすることなのだ。この主題でこんなにヘンテコな物語を構築する偉業を讃えたい。物語に因果はない。ただ事実が存在する。それをどう受け止めるか、それは主人公だけでなく観客にも問うている。この仕掛けについてこれるか否か、そこに個々の真実が宿る。そう、見る者によって真実は異なる、そして真実は常に変わる、それがエンドクレジットの川を下って行くと共に変わる景色となる。結論や結果ではない、すぐに "レガシー" を口にする輩にはこの真意は汲み取れないだろう。
3.不思議なんだけど、エモくて退廃的で美しい素敵な映画に出会った。正直メッセージの2割も理解できてないだろうが、そこは自分がこの映画の真髄に触れるほど人生経験を積んでいないからというのが大きい。でもエンディングで突然泣きそうになった。なんでかは分からん。『山猫』の観賞後の余韻と似たようなものを感じたのだが、間違いでないといいな。
4.イタリアの一発屋の作家でありジャーナリストのジェップが65歳の誕生日を迎え、ある大切な人の訃報を聞いて今までの薄っぺらいエリートたちに囲まれて遊び暮らした人生を振り返る。思ったより笑えたしここで笑わせる?というようなところで笑わされる。こうやって自分を形成したと言えるような都市を将来見つけたい。映像は綺麗だけどローマ行きたい…!となるような映画ではなかった。行きたいけど。
5.第34回東京国際映画祭まで、あと15日!今回は、第34回東京国際映画祭のガラ・セレクションに選出されている『Hand of God -神の手が触れた日-』のパオロ・ソレンティーノ監督の過去作『グレート・ビューティー/追憶のローマ』を紹介します?✨【レビュー】カンヌ映画祭審査員賞受賞作「イル・ディーヴォ 魔王と呼ばれた男」で知られるイタリアのパオロ・ソレンティーノ監督による作品。第86回アカデミー賞では外国語映画賞も受賞しました。「偉大な美」の追求をする初老の作家が初恋の女性の訃報をきっかけに新たに執筆に向かう。ローマの街の美しく静かな様子と、主人公ジェップの激しく豪勢な生活が面白く対比されています。トニ・セルヴィッロの演じるジェップは自由奔放に遊んでいるものの、常に自分のブレない芯を持っているため、すごく魅力的に描かれていました。この映画には様々な隠喩が存在しています。その隠喩を自ら見つけることができるような大人になったときにもう1度観たい映画です。劇中には少ししか出てきませんが、ジェップの初恋の人エリーザを演じるアナルイーザ・カパサの美しさにも注目してほしいです!《鑑賞者:まなは》今後も東京国際映画祭に絡んだ作品を紹介していきますので、どうぞご覧ください!
原題/別名:Roma
上映日 | 2019年03月09日 |
製作国 | アメリカ、メキシコ |
上映時間 | 135分 |
スコア | 3.9 |
監督 | アルフォンソ・キュアロン |
脚本 | アルフォンソ・キュアロン |
あらすじ
政治的混乱に揺れる1970年代のメキシコを舞台に、アカデミー賞受賞監督アルフォンソ・キュアロンが、ある家族の姿を鮮やかに、そして感情豊かに描く。
出演者
ヤリャッツァ・アパリシオ、マリーナ・デ・タビラ、Diego Cortina Autrey
感想・評価
1.映画について語ろうとするときの言葉としての言語と、映画を撮ろうとするときの映像としての言語とは、もしかすると僕たちがふだん思っているよりも随分近い関係にあるのかもしれない。この作品に限らずアルフォンソ・キュアロンの作品を振り返るとき、いつでもそういう感覚に僕は包まれることになります。この人の作品を根底から支えているのは、おそらくある種の距離だろうと思います。言葉を言葉として信じていませんし、映像を映像として信じていない。それらはいったん解体されたうえで再統合されている。例えば『大いなる遺産』(1998年)では19世紀的な古典物語を解体したうえで20世紀的な語りへと編み替える際に、美しく円を閉じるのではなくどこか破綻した裂け目に深い味わいがあったように。たぶん企図(きと)したものというよりは、その語り口が独自にそうなっているのだろうと思います。基本的にはすべてを疑っているのですが、語ろうとする対象と語る自分との距離は信じている。
だからこそ『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』(2004年)は、シリーズ第3作を迎えて前2作とは印象の異なる大人な味わいの作品になっていたのだろうと思います。彼は物語を信じないのですが、物語と自身との距離は信じている。同様に『トゥモロー・ワールド』(2006年)の荒廃と絶望の先に宿る小さな光も、『ゼロ・グラビティ』(2013年)のソリッドな味わいもそうした距離から生まれているように僕には思えます。その感覚は映画について言葉で語ろうとするときの、映画と語り手/言葉と語り手の距離感とたいへん似ているように思います。映画と言葉との距離はいつでも「語り手」という媒介を通されたものであるため、本来的に映画と言葉との間に距離感はありませんし、別の言い方をすれば距離があったとしてもほとんど意味がない。ですから映画が映像としての言語を使って語りかけていることをつかまえるためには、映像として観ることよりもむしろ前に、言葉としての言語を壊してみる必要があるのかもしれない。
映画と言葉を近づけていくのではなく、映画と自分/言葉と自分との距離を引き離してみることによって、映画について語ろうとするときの言葉としての言語と、映画を撮ろうとするときの映像としての言語は、逆説的に近接していくような気がします。映画は映画それ自身としての命を持っていると思うのですが、いっぽうで映画について語ろうとするときの言葉としての言語のなかにしか、その姿を現すことがないということも事実だろうと思います。見えているのに言語化できないということは僕の知る限りでは起こりえない。読み手の感受性や精度が高ければ、言葉にされたことよりも言葉にされなかったことのほうにより多くの風景を見てとるからです。*まだNetflixに入る前だった頃に劇場公開されたため、日曜のレイトショーに妻と2人で観に行ったのがもう2年前のこと。20:00過ぎスタートの劇場には僕たち夫婦2人の他に男性2名のみで、ほぼ貸し切り状態で嬉しさ半分と寂しさ半分だったことを覚えています。
こういう映画は素敵な女性がひっそりと1人で観てこそ似合うと思いながら、少し申し訳ない気持ちがしたことも。劇場の灯りが落ちて開始早々、石張りの床が真上から映される。遠くからは水を撒く音。やがて水がフレームインして波のように引いた後、水面に空が映し出される。そして鏡のような水に飛行機が飛んでいく。カメラワークはフィクス(固定)をはじめとするパン・チルト・トラックなど、あえて「そういう動きをしている」ことを意識させるように撮っているのだろうと思います。ため息が出たのは予告編にもあるシーンで、家政婦のクレオ(主人公)とアデラが歩道を駆けていき車が急ブレーキを踏む場面。横スクロールで2人を追いかけるトラック撮影の美しさ。白黒にしたのは記憶をドキュメンタリータッチで蘇らせるためであり、カメラワークがシンプルであるのは、その記憶に他者(観客)を立ち会わせるためのように思えます。つまりこの作品には、アルフォンソ・キュアロンがその語り口として持っている「距離感」がよく出ているように思います。その距離感によって、舞台となる1970年から71年にかけてのメキシコシティ(コロニア・ローマ地区)は知りもしない時と場所でありながら「僕の幼少期の記憶」が遠くから蘇ってくるようでした。
また鳥のさえずり、犬の足音や鳴き声、車の排気音、飛行機の音、街を行き来する物売りが鳴らすチャルメラなど、ありとあらゆる生活音や暗騒音に満たされていきます。いわゆる「環境音」がこの映画の1つの大きなモチーフとなっているのだろうと思いますが、カラー情報を廃した白黒映像であるため、視覚から聴覚へと自然に感覚の重心が移っていくようでした。結果として1つ1つの具体的な風景や音は僕たちの原風景とは異なるものの、総体としての「あの頃」の感覚に包み込まれていくことになる。そして映画はおそらくは監督の幼少期の記憶をベースにしながら、当時のメキシコの時代背景を織り込みながら進んでいきます。記憶の曖昧さをうまく生かしているため、1971年6月10日に起きた「血の木曜日事件」やその弾圧に加勢した団体の様子、またスペインによる植民地支配から多民族国家へと至った社会模様などが、1970年7月31日に襲ったコロンビア地震などを交えながら、叙事的にではなく記憶のなかの叙情性としてこの作品では立ち上げています。歴史的な出来事に対するこうしたアプローチもまた、この監督の「距離感」によって生み出されているように思います。エンドロールの最後まで久しぶりに席を立たなかった作品でした。そして最後の最後に鳴り響いた鐘の音が、まだ耳から離れていません。おそらくこうしたことのすべては、自覚的な距離感から生み出されています。
2.ずっと見たいと思いつつ見てなかった作品の一つ。めちゃくちゃグロテスクだった。死もグロテスクだけど、それ以上に望まれない生もグロテスクで総じて人間ってグロテスクだなと。
3.大切な部分を切り取って強調するわけでもなく、周囲の様子や雑音もしっかり描かれている。全てが同じ時間の流れの中にあった。同時進行で色んな物事が起こる。大きいこと、小さいこと、すべて日常。
4.ローマのタイポグラフィ、いいっすよね。よく言われる本作の映像美について深掘りしてみました。よかったら読んでね。
5.カメラいいしここしかないというところで終わる。『ハズバンズ』を思い出す。この映画のせいでネトフリ解約するの惜しい気がしてきた。
原題/別名:NO MAN'S LAND
製作国 | フランス、イタリア、ベルギー、イギリス、スロベニア |
上映時間 | 98分 |
ジャンル | ドラマ |
スコア | 3.7 |
監督 | ダニス・タノヴィッチ |
脚本 | ダニス・タノヴィッチ |
出演者
ブランコ・ジュリッチ、レネ・ビトラヤツ、フイリプ・ショヴァゴヴイツチ、カトリン・カートリッジ、サイモン・キャロウ、ジョルジュ・シアティディス、サシャ・クレメール、セルジュ=アンリ・ヴァルック、ムスタファ・ナダレヴィッチ
感想・評価
1.ダニス・タノヴィッチの監督デビュー作にして最高傑作の戦争ブラックコメディ。設定のアイディアが秀逸で、三人が置かれたシチュエーションに紛争を象徴させ、それを取り巻く軍やメディアの自分勝手さを皮肉たっぷりに描いています。共通の知り合いがいて盛り上がるシーンはボスニア紛争を題材にしているからこそ、単なる偶然ではなく、彼らがかつては同じ国民として生きていたことを感じさせる切ない場面でした。ただ中盤以降はやや説教臭くなりすぎた印象で、国連軍の善良な兵士の役回りには説得力が欠けた気がしました。何も解決せずやるせない結末が素晴らしかっただけに、後半は現地に置かれた三人にもっとフォーカスして描き切ってほしかったです。
2.歴史を勉強する上で人に勧められて鑑賞感動作なのか…?戦争の悲惨さが物語るやるせない気持ち現場にいる兵士達は銃さえ無くなれば言葉で解決できるのではないかとさえ思う。二度とこんなことが繰り返さないように歴史を知り、教育を受けることが大事。ユーゴスラビア紛争を知った上で見る事をオススメします。
3.戦争×密室×皮肉映画。地雷を頭の真下に仕掛けられた男、対立するメガネ新人とストーンズTシャツ、の3人組。塹壕に閉じ込められて、何も起きないはずがなく…。という物語。戦場の話であるが、人間の本質を痛烈に描いてたので、よくまとまっている作品だなーと思った。二部構成に思えちゃって後半は時間経過が感じられないし、不条理にフォーカスしすぎて印象に残る瞬間がなかったし、ニュース映像入れてスケール広げなくても良かったし、、、でも興味深いストーリーだったし。まあいろいろ考えてこの点数。スタンダードサイズの予告見つけたが、シネスコ用に撮られたわけじゃないことしってちょっとびっくり。#カンヌ国際映画祭受賞作品
4.あまり好みの類の作品ではなかったものの、ボスニア・ヘルツェゴビナでの紛争における特殊な一場面を軽妙かつ緊張感のあるタッチで皮肉的に描いていたところは見事と言わざるを得ないし、終幕の遣る瀬なさも忘れ難いものだった。#1001映画
5.「う"お"〜"…(汗)」という終わり方。終盤、あるタイミングを境に救いの無い方へパタンパタンと話が畳まれていくのだが、これはこれで一種のクライマックス&カタルシスがあり、不思議な感じだった。問題の解決も勧善懲悪も無いというのに…
原題/別名:Druk/Another Round
上映日 | 2021年09月03日 |
製作国 | デンマーク |
上映時間 | 117分 |
ジャンル | ドラマ |
スコア | 3.9 |
監督 | トマス・ヴィンターベア |
脚本 | トビアス・リンホルム、トマス・ヴィンターベア |
あらすじ
冴えない高校教師マーティンとその同僚3人は、ノルウェー人哲学者の「血中アルコール濃度を一定に保つと仕事の効率が良くなり想像力がみなぎる」という理論を証明するため実験をすることに。朝から酒を飲み続け常に酔った状態を保つと、授業も楽しくなり、生き生きとする。だが、すべての行動には結果が伴うのだったー。
出演者
マッツ・ミケルセン、トマス・ボー・ラーセン、マグナス・ミラン、ラース・ランゼ、マリア・ボネヴィー
感想・評価
1.アルコールの良い面、悪い面を両方伝え、最後は、もがきながらも、生きることの素晴らしさを観客に訴えかけるラスト誰にも正気ではいられないくらいに辛いときはある。お酒は百薬の長と言われるように、飲み方を間違えなければきっと貴方を生かしてくれる(活かしてくれる)という、まあ当たり前と言われれば当たり前だが、お酒の飲み方について考える話だった。私もお酒に飲まれやすいから自分の教師時代を思い出した先生たちの飲み会は、激しい生徒、保護者、管理職、普段抑圧されているからこそ、貯め込んでいるものがある歴史上の人物を出して、飲酒を正当化しているヘミングウェイチャーチル跳躍とも転落とも取れるラスト
2.ドキュメンタリーで検証してみて欲しいな。そっちの方がみたい。
3.お酒入れたら人生上手く行くんじゃね?と実験を開始する高校教師の悪友4人組。中年のリアルに描かれる人生にお酒という魔法がかかって物語が動き出す。お酒を通して人の生き方を肯定し、生き方を否定する、奇妙な人間讃歌の物語。人生は時々うまくいって殆どが失敗。というリアルの地獄をしっかり描くからラストのマッツミケルセンのダンスのカタルシスがえぐい#マッツミケルセン
4.[ DRUK / Another Round / アナザーラウンド ] 人生に祝杯を。? まるで酔って、溺れて、苦い二日酔いを味わっても、やっぱりお酒に浸りたくなるようなコクのある人生の美味な映画? もう忘年会の季節じゃありませんか。年末のお疲れ様会、寄ってたかって、更に酔ってたかっまっての宴の会。頑張って働いて生きたその祝杯に乾杯の音頭を。そしてやはり乾杯にはビールにお酒が1番!飲んで踊って酔い溺れ、苦労を忘れてこその晩餐会飲んで飲んで飲んでの酔い波の大航海した後に、大損害、大後悔、大酷な会がお付き物。叱られてからでは遅いのだ! そんな飲みすぎのお酒大好きな人への映画でもあり、アルコールが苦手の人でも飲まなくてもいい良さを2倍にして楽しめる映画をおススメ!!優しく教えてくれる秀でた作品。アカデミー賞と言われて納得できる優秀な作品です。くれぐれも『ハングオーバー』のような始終お笑い感覚で観ると酔いが醒めてしまう映画だったり。
むしろ良かったりして。。。 今作はもうイケオジ俳優で有名、“マッツ・ミケルセン”の多様な一面を拝める映画でしょう!笑っている顔に酔っている顔、シラフの大人しい顔に、怒鳴り散る顔でさえ素晴らしくカッコいいイケオジ!特に終盤に見してくれる待ってましたの踊れアミーゴ。ファンサービスまでご用意とは、お酒と一緒に飲みながら観るには最高でした✨ちなみに、自分はお酒が弱く鑑賞中は寝たくはなかったので、レモンスカッシュを飲みながら鑑賞。マッツと一緒にゴクゴク飲んだ最高の至福のひと時でした。。。? お酒の力は確かに素晴らしい。酔っている事により本来の自分より大胆な言動が出来るのは私個人も検証済み。(飲み会時に。) これを仕事に活用するマジックはかえって効率がいいのでは?いやいや、理性とんで飲みすぎてきっと気付いたらお先真っ黒っしょ。それじゃ検証してみようかで先生たちの喜劇が始まっていくのは何とも面白い。アルコール摂取量を増やす度にそんなに人が変わるのか!と見せてくれる教科書なような映画。ましてや度数を上げすぎた惨劇まで、、、これがまたなんとトラウマ級。口に流し込んでいたドリンクが喉をも通らなくなるでしょう。???自分を変える為にリスクを負ってまでは違うのだ。
あくまで変わってくれるのは嬉しいけれど、他人を危険にさらしてまでは周りも心配でありもしくは愛想尽きて離れて行く人もいるでしょう。お酒に頼って生活するのではなく、日々のお疲れのあなたへ嗜む程度に飲むのが良いのでしょう。 ま、真面目過ぎるのもお酒は進まないので、結局は忘れるくらい、何も考えずお酒を飲みたい映画のラストと同じなのだ✨ 最高のお酒にまつわるデンマーク映画でした??人にとってはトラウマ級なのでしょうか、それともお酒が好きになるような映画でしょうか?もっとも個人的に好きなのはマッツのアルコール0.05%の授業の内容が面白かった。ちなみにアドルフ・ヒトラーを選びました。ハイル・ヒトラー! もう一度観たくなる映画だ Anather round / もう一杯!?ちなみに、『Druk』 / ”大量に飲酒した”の意味のデンマーク語?? 2021/№050#おかわりしたい映画#お酒が進む映画#お酒が止まる映画#マッツ・ミケルセン#イケオジ#2021テルマエ・レビュー
5.全編に渡って溢れ出るマッツ・ミケルセンの色気。顔のアップが多いのは眼福と言うほかない。地元では上映されないだろうと踏んでいたので、遅くなったとは言えスクリーンで見れて良かった。仕事への熱意が枯れた高校教師4人組が、ちょっとお酒を入れておけば、具体的には血中アルコール濃度を0.05%に保っておけば仕事も家庭も上手くいくらしいから実践してみようという映画なのだが、楽しそうな予告とポスターからは想像していなかった重さ!強いお酒を飲んだわけでもないのに胃が痛む。最初はものすごく上手く話が回るというのがすでに罠。退屈そうだった授業が一変、やる気のなかった生徒達の態度も教師との仲も劇的に改善される様は滅茶苦茶楽しい。
あんな授業を受けたらそりゃあその教科も先生も好きになる。その楽しさに徐々に影が差して、結局度が過ぎてやらかしてしまった後の気まずさがキツイ。いや、気まずいだけで済むならまだマシだった。トミーの酒が見つかったり泥酔してスーパーですっ転んでヒヤヒヤさせられていたり、なんならマーティンがブチ切れていたのもまだ可愛いものだったんだ。救命胴衣を投げ捨てた時点でヤな予感はしたんだよな……そうなってなお「彼ならそうする。」と飲みに行く辺り一貫しているというか何というか。そして酔いもそのままに最後はダンスで締め。マーティンとアニカのメッセージでのやり取りと、その後のハイテンションな卒業生たちのおかげもあって明るく前向きな雰囲気で終わるけれど、単純にハッピーエンドとは言い切れないような不思議な後味が残る。まるでお酒のようだね。デンマーク語でのタイトル『Druk』の意味は暴飲だそう。あまりにもストレート。もう1杯という意味の『Another Round』の方がタイトルには相応しい。
原題/別名:Saul fia/Son of Saul
上映日 | 2016年01月23日 |
製作国 | ハンガリー |
上映時間 | 107分 |
スコア | 3.7 |
監督 | ネメシュ・ラースロー |
脚本 | ネメシュ・ラースロー、クララ・ロイヤー |
あらすじ
1944年10月、アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所。サウルは、ハンガリー系のユダヤ人で、ゾンダーコマンドとして働いている。ゾンダーコマンドとは、ナチスが選抜した、同胞であるユダヤ人の屍体処理に従事する特殊部隊のことである。ある日、サウルは、ガス室で息子とおぼしき少年を発見する。少年はサウルの目の前ですぐさま殺されてしまうのだが、サウルはなんとかラビ(ユダヤ教の聖職者)を捜し出し、ユダヤ教の教義にのっとって手厚く埋葬してやろうと収容所内を奔走する・・・。
出演者
ルーリグ・ゲーザ、Levente Molnár、ウルス・レヒン、シャーンドル・ジョーテール、Marcin Czarnik
感想・評価
1.ハンガリー映画??主人公サウル目線で物語は進むので独特のカメラワークに最初は違和感も途中で見慣れた。同胞をガス室へ誘導するという心が壊れてしまうようなことを淡々とこなすサウルに違和感を覚えるがそうなってしまうものなのかも。土葬しようとするのはユダヤ教の考えのもとなのね?
2.新宿シネマカリテへ観に行って以来再鑑賞ホロコーストものの中でもすごく好きな作品。ひたすら重苦しい空気に圧迫される
3.ホロコーストを描いたカンヌのグランプリ受賞作。冒頭の長回しで一気に引き込まれた。主人公のクローズアップが多用され、密着するカメラワークで緊迫感と臨場感が半端ない。また、脱獄モノなど、収容所や刑務所が舞台の作品は音響効果が肝と思うが、本作は無音も含めて、音響が凄くて、音でこちらの脳内にイメージさせてくる。そういう意味では、直接的に凄惨なシーンは少ないが、屍体を部品と呼び、単なる肉塊として扱う様子には、精神的にダメージを受けた。鑑賞後は「炎628」や「異端の鳥」を観た時のような疲労感を覚えた。
4.さっきまで人やったのに、次の瞬間には"モノ"になるのが恐ろしかった。いい意味で感情に訴えかけるような映画ではなく、あの淡々とした感じがかえって怖かったこういう作品に面白さを求めるものでは無いかもしれないけど、正直退屈やった。
5.数々のホロスコートものを観てまいりましたがこの作品ほど、リアルに近い目線で撮影したものは初めてです。主人公サウルの動きに合わせてカメラが動く事で日常感があり、まるでその場に居るような感覚。「ゾンダーコマンド」同胞をガス室に送り処理する任務ほんの数ヶ月の延命と引き換えに。そのゾンダーコマンドであるサウルが、息子であろう遺体を見つけなんとかして手厚く葬ろうとするそんなたった1日半の出来事を描いた作品。実にシンプル。シンプルなだけに響く。絶望からの絶望。それでもわずかな光を求めて。
原題/別名:Hævnen/In a Better World
製作国 | デンマーク、スウェーデン |
上映時間 | 118分 |
ジャンル | ドラマ |
スコア | 3.8 |
監督 | スサンネ・ビア |
脚本 | アナス・トマス・イェンセン |
出演者
ミカエル・パーシュブラント、トリーネ・ディアホルム、ウルリク・トムセン、ウィリアム・ヨンク・ユエルス・ニルセン、マルクス・リゴード、トーケ・ラース・ビャーケ、ビアテ・ノイマン、キム・ボドゥニア
感想・評価
1.過去メモ記録。「やられたら、やりかえす」ヒーロー映画ならかっこよく響くのだろうが,現実問題はそうはいかない。この言葉をとことん追求して体現した映画はあまり見たことがない。この映画に出てくる登場人物たちは、まだラッキーだ。取り返しのつかないことをしたが、救いもある。映画のもっていき方として、どん底にまで突き落とすことも可能だったろうが、自分はこの救いがあるラストでよかった。いや、でも、難しい問題だと思った。やられたときに相手のことを「相手をするのもばかばかしいやつ」なんて思うことは簡単ではないし,そう思ったとしても当の相手はいい気になってるわけで、、、?。こんな難しい問題、大人でも大変なのに、子供たちは…。
自分自身にも降りかかる可能性はあるわけで、しっかりしないといけないが、教えていく側になる人間(大人というやつ)として、きちんと伝えられる人になりたいなとは思った、、、。難しいけど。いや、でも、やっぱ難しいよ、、、こればっかは、、、いじめにあっていたエリアスは、転入してきたクリスチャンに助けられた。ある日、クリスチャンはエリアスをいじめていた主犯格に仕返しをした。また別の日にエリアスの父親がちょっとしたいざこざで殴られ、じっと耐えるエリアスの父を見て、クリスチャンは代わりに仕返しすることを決意する。
2.あまり有名な作品じゃないと思うけど、観る価値はあると思われる。
3.デンマーク映画って、自国と他国の対比を映すこと多い?先日観た「onkel」でもやたら北朝鮮のニュース流してたし、「ある愛の風景」「ある人質」でも他国の大変さと、平和で長閑なデンマークを映し比べてる。兵役(任意)や、移民受け入れも影響してるのかな?ため息でそうな美しい風景をセットにしつつ、実はそんな幸せでもないねんよ、、、という映画をやたら観てる気がする?そんなちょっぴり根暗な国民性、好きやけどね?テーマは復讐。やられたらやり返せは正しいのか。そしてやっぱり観客に問題提起するよね☝️北欧映画。けどさ、理屈の全く通じない、こっちが思い悩むこともアホらしくなるようなクソ輩相手なら、もう目には目を歯にはハンムラビでいいと思うねんけどな?
4.子は親の鏡とはいうが、今を生きる大人が、人として親として育成し、どこまで子供と向き合い理解し守れるか、また、子供が自分の意思を保ち、善悪を判断し行動出来るのか。見えない先の不安が募る。家庭と社会の問題を取り入れ、断ち切れない理不尽な暴力と復讐の負の連鎖に、綺麗事では済まされない厳しい現実。答えのない難しく深いテーマに複雑な心境は続く…#報復と赦し#未レビュー消化
5.歳を重ねるにつれて厚みを増して、体にへばりつく「男性性」。その有害性は社会に属する人や自分自身を蝕む。
原題/別名:DIE FALSCHER
製作国 | ドイツ、オーストリア |
上映時間 | 96分 |
ジャンル | ドラマ |
スコア | 3.6 |
監督 | ステファン・ルツォヴィツキー |
脚本 | ステファン・ルツォヴィツキー |
出演者
カール・マルコヴィクス、アウグスト・ディール、デーヴィト・シュトリーゾフ、マリー・ボイマー、ドロレス・チャップリン、アウグスト・ツィルナー、マルティン・ブラムバッハ
感想・評価
1.ナチは強制収容所でこんなことまでやってたとは、また、07まで映画化されなかったのが不思議。自分らは正義を貫いて死ぬべきか、それとも仲間と共に生き延びるべきか、重いテーマだし、ナチの悲惨さや理不尽さは少なめで、96分というのと相まってサラッと見れた。終戦になり収容所の壁の向こう側のユダヤ人との対比が印象に残る。ナチの少佐や薄ハゲの小隊長の行方や処分より、ラストのギャンブルの大負けの方が潔い終り方。やっぱりあれだからだよな。
2.短い時間の作品なので比較的テンポが良く進むけど、しっかり緊張感もあったしナチスの残酷さも伝わってきた。何よりこういった史実があったことを初めて知ることができて良かった。2021-743#アカデミー賞外国語映画賞
3.《完璧な贋札。それは俺たちの命を救うのか。それとも奪うのか》第80回アカデミー賞外国語映画賞受賞のドイツ作品。なぜかソフト所有していて(苦笑)、初鑑賞。第二次世界大戦中に実際に遂行され、ポンドの大量贋造でイギリスの経済混乱を狙ったナチス・ドイツの「ベルンハルト作戦」。それはドイツ人の手を汚さず、ユダヤ人技術者に強制させたものだった。強制収容所で世界的贋造犯サリーを中心に進む「ベルンハルト作戦」。それが成功するとナチスに力を与えることになる。屈辱の生か、栄光の死か…。戦後、抜け殻になったようなサリー。戦前の見る影もない彼の変貌した姿は…。葛藤し、苦悩するユダヤ人たちを描いた骨太な物語で、ドイツ映画らしい重厚感、スリリングかつドラマティックな展開で見応え十分の秀作です。
4.2007年のステファン・ルツォヴィツキー監督作品。国家規模での贋札づくりとして有名なナチスのベルンハルト作戦。本作はこの作戦に従事した贋札職人や印刷技師といった収容所のユダヤ人たちの物語。大量のスターリングポンドの贋札がこの作戦で製造され、イギリスは贋札と真札の両方を回収する混乱に見舞われた。映画は96分と短く、全体的にスピーディーな展開で、収容所内の希望と絶望があっという間に入れ替わる過酷さとも。偽りの価値が生み出される一方で儚く消えてゆく命。贋札職人のロシア系ユダヤ人サリーはその腕により収容所の仲間の命を救うが、その立場は終戦に向かうにつれて変化してゆく。良作。
原題/別名:Jodaeiye Nader az Simin/A Separation
上映日 | 2012年04月07日 |
製作国 | イラン |
上映時間 | 123分 |
ジャンル | ドラマ、スリラー |
スコア | 4.0 |
監督 | アスガー・ファルハディ |
脚本 | アスガー・ファルハディ |
出演者
レイラ・ハタミ、ペイマン・モアディ、シャハブ・ホセイニ、サレー・バヤト、サリナ・ファルハディ、ババク・カリミ、メリッラ・ザレイ
感想・評価
1.娘に嘘の証言をさせたところから、ものすごく心を締め付けられる思いで観ていた。ラスト、テルメーが両親のどちらについていくかを判事に答えるシーンがあるが、答えが分からず映画は終わる。でも、テルメーは自分でしっかり決めていたことに、少しだけ救いを感じた。
2.先日NHKのドキュメンタリーで、イランにおける女性の権利活動や反政治活動家への逮捕・死刑などの特集を観た。この映画は、それをテーマにした映画ではないが、この映画の根底にもイランのこの深い問題があるように思えた。男尊女卑、女性は男性とは違う守られるべきものという保守的思考だ。主人公の夫婦は、そんな国の中、進歩的で互いの立場や生き方をある意味尊重している。しかし、貧しい介護職を希望する家族は宗教心が厚く、男性及び女性の伝統的役割を守ろうとする。それぞれの家族は一生懸命生き、責任を果たそうとする中である事件が起こってしまう。最終的には真実が明かされるが何故そこに行き着くまでにその事実が明るみに出ないのか。そこにこの国の難しさがある。妻が夫に対して弱い立場にあるからだ。主人公の娘は最終的に悲しい決断をしないといけないのだが、この国では、とても恵まれていることなのかもしれない。日本では当たり前になりつつある、女性も男性同様自分の意志で、自分の生き方を決められること。それが世界どこでも見られることを望む。
3.アスガー・ファルハディが何を描こうとしているのかを考えてみた際に、あくまで作品論としてですが、アッバス・キアロスタミとの関係を視野に入れてみることはたいへん有効なように思います。1940年生まれのアッバス・キアロスタミに対して、アスガー・ファルハディは1972年生まれで親子くらいの年齢差(32年)があることになります。これは1821年生まれのフョードル・ドストエフスキーと、1860年生まれのアントン・チェーホフとの年齢差(39年)と近似的なように思います。映画監督としての2人の関係は分かりませんが、作品を通して感じるのはファルハディとキアロスタミの世代的な肌合いの違いです。ドストエフスキーのように土着性へと向かうことで生を回復していったキアロスタミとは異なり(山村が舞台)、ファルハディはあくまでも都市(首都テヘランやパリが舞台)に留まろうとする。
19世紀のなかにすっぽりと包まれる生涯を送ったドストエフスキーと、20世紀の入り口まで生きたチェーホフの作品としての関係性は、どこかキアロスタミとファルハディの作風の関係性になぞらえてみることができるように僕には思えます。このあたりの事情はイランという国の現代史を捉えてみると面白く感じます。*イランの正式国名は、イラン・イスラム共和国。1979年にホメイニ師(ルーホッラー・ホメイニー)によってそれまでのパフラヴィー朝による帝政が倒され(イラン・イスラム革命)、宗教上の最高指導者が国政を担うイスラム共和制が敷かれます。この年に起きた「アメリカ大使館占拠事件」は、アメリカ側の視点ではあるもののベン・アフレック監督・主演『アルゴ』(2012年)に詳しく、またこの事件がイラン・イラク戦争へとつながっていくことにもなります。
ホメイニによって倒されたそのパフラヴィー朝(1925-1979年)は、トルコ系の王朝であったカージャール朝(1796年-1925年)をレザー・パフラヴィー(ペルシア系の軍人)が倒して建国した王朝でした。レザー・パフラヴィーは『アラビアのロレンス』にも描かれるような、帝国主義末期の分割統治(イギリスとロシア)政策に翻弄され弱体化したカージャール朝に代わり、ペルシアを近代化(西欧化)しようと努めました(日本の明治維新に近いかもしれない)。そのペルシアを「イラン」という国名にしたのもパフラヴィー朝で、その呼称はイスラム以前のゾロアスター教の聖典からとったようです。パフラヴィー朝では、パフラヴィー2世による白色革命(1960年代:白は白人ではなく皇帝の命令という意味)などによってイスラムの宗教色を廃し、政治・文化(男女同権)を近代化していこうとしたものの、独裁的でアメリカの傀儡(かいらい)政権色が強くやがて国民の支持を失っていきました。そして1979年のイラン革命が起こきます(明治維新に置き換えるなら、西南戦争で西郷隆盛が勝利した形になるかもしれない)。*キアロスタミとファルハディそれぞれの生年をこのイラン現代史に置いてみると、キアロスタミが39歳の時にイラン革命を経験しているのに対し、ファルハディは7歳だったことが分かります。両者のイスラム文化に対するアプローチの違いは、こんなところからも汲みとれるように思います。40歳手前まで西欧化(文明化)の国是を生きたキアロスタミと、イスラム宗教国家となってから物心のついたファルハディ。
ファルハディの語り口はモダンに洗練されているため、日本人である僕たちも感覚的に観ることができます。しかしながらこの『別離』のなかに描かれる夫婦のほんとうの亀裂は、こうしたイランの現代史を背負っているように僕には思えます。そのためイラン革命の前に青年期までを送ったキアロスタミが、多民族国家としての土着的なペルシアへ出口を求めて行ったのに対して、ファルハディは出口を持てないまま憂鬱な円環のなかをぐるぐると彷徨うことになる。そうした2人の関係は19世紀の帝政ロシアにおけるドストエフスキー(1821年生)やトルストイ(1828年生)と、チェーホフ(1860年生)との関係にたいへん近いように感じます(実際にチェーホフは晩年のトルストイと親交があった)。ドストエフスキーもトルストイも作品に描き出した出口はそれぞれに異なるものですが、ロシア正教(キリスト教)への向き合いを濃密にたたえていたのに対して、チェーホフ作品にはほとんどその痕跡はありません。この関係性はどこか転倒しながらも、キアロスタミとファルハディの作品から感じるイスラムへのアプローチとやや似ているように感じます。
どちらかと言えばキアロスタミのほうが脱イスラムの感覚が強く、ファルハディはイスラムの因習をやや引きずっている。しかしながらモダンなのはファルハディのほうという感覚です。いっぽうキアロスタミとファルハディに共通した点として、各作品が必ず前作のテーマを踏襲しながら深めていることが挙げられるかもしれません(キアロスタミについては『ジグザグ道3部作(コケール・トリロジー)』に詳述したとおり)。ファルハディが『彼女が消えた浜辺』で描いたのは、もはや対峙する力を失った因習に替わるある種の空虚さであり、この『別離』で描かれているのはそうした因習(のように見える空虚さ)から脱出しようという妻と、因習のうちに留まろうとする夫との亀裂だろうと思います。このある種の空虚さとはモダニズムがいつでも抱える重要なテーマであり、アントン・チェーホフが劇作品や短編のなかに描いたのも同様のものだろうと思います。そして次作の『ある過去の行方』では、その空虚さから脱出したように見えた先に待ち受けていたものを描いています。
4.密度…各々の価値観や事情がぶつかって問題が重なり合い、こんな広がり方してしまうの苦しすぎ。父親の嘘を追求する娘が良いなあ。庇っちゃうの見てられなかったが。余韻が辛い
原題/別名:Departures
上映日 | 2008年09月13日 |
製作国 | 日本 |
上映時間 | 131分 |
ジャンル | ドラマ |
スコア | 3.7 |
監督 | 滝田洋二郎 |
脚本 | 小山薫堂 |
主題歌/挿入歌 | AI |
あらすじ
日本初!アカデミー賞外国語映画賞受賞!本木雅弘自ら企画して実現したという本作。納棺師という特殊な職業、それを支える周囲の葛藤…静かながら熱のこもった出演陣の芝居は必見!久石譲の音楽が美しい世界観に寄り添います。
出演者
本木雅弘、広末涼子、山崎努、余貴美子、吉行和子、笹野高史、杉本哲太、峰岸徹、山田辰夫、橘ユキコ、橘ゆかり、朱源実、石田太郎、小柳友貴美、岸博之、宮田早苗、大谷亮介、星野光代、諏訪太朗、奥田達士、内田琳、鈴木良一、ト字たかお、藤あけみ、山中敦史、樋渡真司、白井小百合、坂元貞美、大橋亘、飯森範親
感想・評価
1.当時観たことあったけど見直してみた。こんな美しい映画だったっけ...。久石譲の音楽が染みまくりで涙出まくりです。
2.2009年アカデミー賞 国際長編映画賞 受賞作チェリストから納棺師になる男の話。青木新門の「納棺夫日記」から派生した映画。今年10月から、中国で旧作上映ながらも異例の大ヒット中とのこと。昔、テレビで観て、「納棺夫日記」も読んだが、およそ10年ぶりに観てみた。劇伴やモノローグなど、過剰と思う点は多々ある。アカデミー賞外国語映画賞を受賞しているが、観やすさを意識した演出で、芸術性はやや下がったと感じる。もっと一つ一つの納棺作法をじっくり見せても良かったのではないだろうか。でも、「納棺夫日記」と全く別のオリジナル作品に仕上げたのはお見事。死生観や職業の偏見について触れるセンシティブな内容でありながら、それを逆手にとって「シコふんじゃった。」を彷彿とさせるユニークな切り口の脚本がうまい。ただ、最後を納棺する展開に持って行くために、粗雑な葬儀屋を引き合いに出す点は、個人的に納得がいかない。「汚らわしい」と”生の本能”との相克。納棺と咀嚼音に共通点を見出したのは秀逸。干し柿を食うシーンは、本作の中で最も印象に残っている。なお、私は推測している。中野量太監督は本作からヒントを得て、「湯を沸かすほどの熱い愛」を生み出したのではないかと。
3.中国ではまさかの大ヒット現象が起きているようですが私もようやく初鑑賞。前半は多少のコミカルな要素で引き込み、後半はジワジワ泣きそうになる筋回しが絶妙でした。日本人の死生観を描くのに東京でなく山形を舞台にし「オール山形弁」で観客を引き込むうまさを感じました。酒田、鶴岡から雪を抱いた鳥海山の勇姿がよくスクリーンに映えピッタリです。
4.「死」にまつわるものは往々にして重苦しい感じがするけど、全くそういった感じもないですゆっくりと流れる時間のなかにもテンポの良さがあり、見る側が喜怒哀楽をしっかり表現できる作品でしたなんでここまで優しさに溢れているのかわからず涙していましたが、「『死』は終わりではなく、そこをくぐり抜けて次へむかう『門』です」「いってらっしゃい、また、会おうの」これを聞いてなんだかわかった気がします納棺という仕事を描いた映画が世界でも評価されるのはすごい
5.私は医療現場にいたものとして、死を穢れと思わない。それがいいことかは正直わからない。けがらわしい、と思うひとも世にはいる、というか未だ多いのかも。二面性の理解が必要、何事も。エンゼルケアの時は、よく泣いてた。家族からしたら、スタッフが泣いているなんて、あなたに何がわかるって言うの?と思っていた人もいたかもしれない。不快な人もいたかもしれない。私は目の前の方の生涯のほんの一部しか関わっていない、何も知らず人手不足でケアだけ任される時だってある、生前の顔を見ないままに。そんな最期でも、いま、その瞬間に涙するひとが一人でもいればって思う。感情を動かすことができるのは存在のあかしのような気がする。私は動きました、ってあなたはたしかに生きていましたねと答えたくて自然と泣けてしまう。同情はいらねえと、天国で言われてるかもしれんが。まさか女優みたいに涙をコントロールもしてないけど…こうした仕事をしている人が、誇りを持っていられるように、私たちこそが矛盾しているかもしれないけど死が生々しいということを美しいばかりではないが美しいということを恐れずに心に留めておくべきと思うのです。
原題/別名:Das Leben der Anderen/The Lives of Others
上映日 | 2007年02月10日 |
製作国 | ドイツ |
上映時間 | 138分 |
ジャンル | ドラマ、スリラー |
スコア | 4.1 |
監督 | フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク |
脚本 | フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク |
あらすじ
第79回アカデミー賞外国語映画賞を受賞した作品。1984年の東ドイツが舞台。反体制の疑いがある劇作家・ドライマンとその同棲相手を監視していたヴィースラー大尉が、次第に彼らの世界に魅了されていく姿を描く。
出演者
ウルリッヒ・ミューエ、マルティナ・ゲデック、セバスチャン・コッホ、ウルリッヒ・トゥクール、トマス・ティーマ、ハンス=ウーヴェ・バウアー、フォルクマー・クライネルト、マティアス・ブレンナー、チャーリー・ヒュブナー、ヘルバート・クナウプ
感想・評価
1.今作、DVDが出たばかりの時に鑑賞した記憶が蘇った...しかし正直に言うと、キャストが魅力のないオッサンばかりで話がウダウダと長く、途中で船を漕いで結局ラストまで観ないままだった?今回は大人になりましたので?良さしっかり理解出来ました✨原題は『他人の生活』今回は断然邦題がふさわしい?1984年、東西分裂前の東ドイツ。社会主義国家は厳しい思想弾圧が行われていた。危険思想を持っていそうな人間を監視し、国家に背く行為を行ったら即取り締まるのはシュタージ(国家保安省)シュタージのキャリア組の優秀なヴィースラー大尉は国家に忠誠を誓い、反逆者は冷酷に容赦なく追い詰める。ヴィースラーの新しい任務は、劇作家のドライマンと、その恋人で女優のクリスタを監視すること。ドライマンの部屋には盗聴器がしかけられ、24時間、2人の生活の様子を交替で聴いて報告書を作成する。
その内容たるや、ベッドの内容までしっかりと...最初は任務に忠実だったヴィースラーだったが、聴こえてくる彼ら芸術家の感性やその世界に次第に共鳴するようになっていき心境に変化が起きていく...そして、ドライマンが弾いたピアノソナタ?を耳にした時、ヴィースラーの心は激しく揺さぶられる?....前半は社会主義国家の有無を言わせぬ厳し過ぎる弾圧に驚くものの、主人公ヴィースラーの人間的な人柄が解るとどんどん惹かれて見入っていく。ヴィースラーは任務を通して、党が民衆のためではなく出世欲や金銭欲によって動いているという現実に目を見開かされる。今まで国家のためと思いクソ真面目に任務に当たっていたのに、党の幹部は自分のことしか考えていないと気づくのだ。一体、自分は何をしているのか?と迷い始める。そしてドライマンと恋人のために起こすある行動が、自分の将来を粉々にするのだが...ヴィースラーにより助けられたドライマンが、その後暴露本を上梓する。本屋に並ぶ1ページを開くとそこには自分の暗号(当時の職務番号)が書かれていた...◯◯◯へ捧ぐ...とヴィースラーがその1冊を手にして、本屋で購入する時の華々しい表情が生きる喜びに満ちている✨素敵なラストでした?
2.かつて共同通信社に勤めたのち作家や評論家として活躍し、現在は参議院議員をされている青山繁晴氏が何かのチャンネルで「ソ連と冷戦時代を肌身で知っているのは今の40代が最後」と言われていたのを観て、へぇあぁそうかと思ったことがあります。1989年11月ベルリンの壁崩壊。この東西冷戦の象徴に人々がよじ登り、ハンマーや何かを手に取り壊そうとする姿がテレビに映されていたとき、僕は15歳で高校受験を控えながら不思議なものを見るような気持ちでいました。冷戦が社会主義が終わる?まさかと思いました。ちなみにベルリンの壁が建設された1960年代初頭の様子については、スピルバーグ監督『ブリッジ・オブ・スパイ』に描かれています。大学受験性となった僕の息子は戦争を中心とした近現代史に興味の中心があり、ソ連や社会主義陣営のことを知ってはいるものの、その空気感がどのようであったかをリアルタイムには体験していません。ですから共産主義や社会主議に関心をもっているにも関わらず、息子と話しているときにあれ?となることもあります。やはり時代の空気を体験したかどうかは大きいようです。
そしてこの映画は、そのベルリンの壁が崩壊する5年前(1984年)から崩壊後までの東ドイツの監視社会を舞台にしています。社会主義の本質は「設計思想」にあります。それは大衆を一部の指導者が率いる形で、平等な社会を築こうとした一大プロジェクトだったとも言えるものです。そのため個人の多様性を認めず(設計に沿わないため)、国家秩序の維持と統制をはかるために、監視へと向かったのは必然だったのかもしれません。主人公のヴィースラー大尉(ウルリッヒ・ミューエ)はそのこととは別に、個人と国家の問題として国家に忠誠を誓った「善き人」でもある。まずそのことを抑えなければこの映画は見誤るように思います。それは同期のグルビッツが野心から出世している一方、野心を持たず愚直に良き国民であろうとするヴィースラーが対照的に描かれていることからも見てとれます。設計思想と、人間が集団の中でもつ欲望と恐怖。社会主義が全体主義へと至り恐怖社会へと陥った核心はおそらくここにあります。
原題は『Das Leben(生) der Anderen(他の):他人の生活』。邦題の『善き人のためのソナタ』は劇中に描かれるピアノ曲から採られていて良い判断だと思います。個人を統制するために監視・摘発する目的で盗聴を命じられた「善き人」ヴィースラー大尉が、監視対象の劇作家がもつ豊かな人間性に触れるうちに「善き人」の意味を揺さぶられ、価値転換を迫られていくプロセスを映画は描き出しているからです。その劇作家のドライマンが『SONATE VOM GUTEN MENSCHEN』(SONATA FOR GOOD MEN, 善き人のためのソナタ)をピアノで弾くシーンで「この曲をほんとうに聞いたなら悪人にはなれない。革命は成就しない」とレーニンが言ったとして、ベートーヴェンのピアノソナタに言及したシーンがたいへん印象深く残っています。音楽はその本性(ほんせい)として多様性のなかにこそ豊かな調和を求めるからです。映画のラストではベルリンの壁崩壊後の様子を描いているのですが、本質的に「善き人」であるヴィースラーは、郵便局員としてやはり公務に専念しています。
一種の温もりや爽やかさが余韻として残るのは、時代や体制に翻弄されて生きた「善き人」を後世の視点で暴力的に糾弾するのではなく、内的な価値転換のドラマとして描き出しているからだろうと思います。そして秩序を保つために自身をとりまく考えや感じ方を狭めていくというアプローチは、なにも社会主義国家に限った話ではありませんし、うっかりすると僕たちも日常的に行なっているもののはずです。ですからヴィースラー大尉の「善き人」の意味が2重にあったことを理解せず、悪人が改心した作品と観てしまうならむしろ危ないように僕は思いますし、その懸念はたぶんあたっています。優しさと共感を強要するような時代が今だからです。それはたぶん目に見えない一種の監視社会と言っても言い過ぎではないはずです。
3.東ドイツで国民を対象に反政府的言動や亡命を監視管理するための国の組織シュタージは、捕まえた人物を一睡もさせないまま48時間に及ぶ尋問や盗聴など非道の限りを尽くしていた。とある日、観劇中のシュタージのヘムプフ大臣に目をつけられた女優のクリスタは権力を行使され関係を強いられることになり、恋人の劇作家ドライマンも監視対象にされてしまい家には盗聴装置が設置され担当になったヴィースラーは報告書をまとめるようになる。ドライマンは誕生日に反政府的な演出をしたせいで自由な作家活動を制限されたイェルスカから楽譜をもらうが、苛まれ悩み続けていたイェルスカは数日後自ら命を経ってしまう。ドライマンは楽譜を広げピアノを弾くとそれを聴いていたヴィースラーは涙を流し少しずつ冷徹な心が変化し始める。優しいふりをして保身に走るクリスタと、無慈悲なようで実は受け入れる思いやりを持っていたヴィースラーがうまく対比で描かれていて私生活にも起こりうる時に残酷な、人との向き合い方を考えさせられる映画。
抜き打ち家宅捜索に周りはクリスタを疑うがそれを信じようとしないドライマン、タイプライターの隠し場所まで白状したクリスタが自責の末にトラックの前に飛び出して亡くなった事実を後に知ってどう思ったんだろうか、新しい演劇を隣の女性と手を繋ぎ観ているシーンを見る限り過去を少しは乗り越えたんだろうなとホッとする。そして正義を貫いたヴィースラーが左遷されてしまう運命も償いのようでもあるし、最後にはタイプライターを代わりに隠すほど慈悲に満ち溢れたヴィースラーにとっては人を四六時中監視するような非道な職より郵便配達員のほうがマシなのだろう。ほんといつも思うのは、まともじゃない部分が全くない完璧な人間なんてこの世には居ないと思うが、自分の言動を省みる事ができて反対意見を素直に聞き入れる事が出来る人は素晴らしいな。尋問での「ファンがいることを忘れるな」とヴィースラーがファンとして一度顔を合わしたクリスタに隠し場所を言わないよう訴えかけるが、その言葉にクリスタは今後の女優としての生活が頭をよぎってしまう。この絶妙なニュアンスの違いに気付くかどうかはまさに思いやりを持つかどうかで変わると教えてくれている気がする。
4.2021/11/23再鑑賞結婚記念日に夫婦揃って鑑賞すべき映画として、妻が未見の中からこれをチョイス。やっぱり個人的に2000年以降ではこの映画がベストかなあ。最初あれだけ御大層な講義までして完全に体制側の人間だったヴィースラーが、ドライマンとCMSを通じて人間性に触れ少しずつ変化していく様子を、決して明示的なものを出さずに表情や会話、セリフの間の余白で少しずつ提示していく...シュタージの監視とそれをかいくぐる自由な空気、というストーリー上の理屈以上に、感性としての心の移ろいがはっきり見て取れることが、この映画を非凡たらしめている何よりの要因かもと思う。最後の数分、何度も観て知っているのにまた涙してしまった...2012/1/1再鑑賞(鑑賞メーターより転載)新年最初は過去に感銘を受けた映画をと考え、個人的に2000年代のNo.1に位置付ける映画を鑑賞。監視されている側の実に人間的な感情豊かさと監視する側の真逆の寒々しさを残酷に対比しつつ、疑いなく思想を信じていた主人公が徐々に良心を問われ、只ならぬ感情を対象者に持ち始める過程を贅沢なまでに時間を使い丁寧に描く。
他人を上からしか見てなかった彼が(原題にもある)「他者の人生」に触れて「善き人」へと昇華していくラストまでの流れは、判っていても涙が振り落されるほど心を揺さぶられる。未見の方は是非お見逃しなく。 2008/12/22鑑賞(鑑賞メーターより転載)ヴィースラー役の俳優さんはこの後すぐ亡くなったそうで残念だが、緩やかかつ確実な心境の変化をほとんど変わらない表情の中でうまく演じている。彼がクライマックスで起こした行動は、誰かを救いたいというよりもそうすることで「自分が救われる」と感じたからではないだろうか。その後閑職にまわされた後の平穏そうな表情がそれを物語っている。最後のあのシーンの一言と本に書かれた謝意を観た時にはどっとこみ上げてくるものがあった。地味で重そうな映画だなという先入観で敬遠することなく、多くの人に観て欲しいと思う秀作。
5.いつ観たか忘れてしまいましたが記録。こんなに美しい映画もない。人は憧れには抗えないのだよな。植物が日の当たる方に伸びていくように人も憧れへの衝動を抑えられない。
原題/別名:기생충/Parasite
上映日 | 2020年01月10日 |
製作国 | 韓国 |
上映時間 | 132分 |
ジャンル | ドラマ |
スコア | 4.1 |
監督 | ポン・ジュノ |
脚本 | ポン・ジュノ、ハン・ジヌォン |
主題歌/挿入歌 | チェ・ウシク |
あらすじ
全員失業中で、その日暮らしの生活を送る貧しいキム一家。長男ギウは、ひょんなことからIT企業のCEOである超裕福なパク氏の家へ、家庭教師の面接を受けに行くことになる。そして、兄に続き、妹のギジョンも豪邸に足を踏み入れるが...この相反する2つの家族の出会いは、誰も観たことのない想像を超える悲喜劇へと猛烈に加速していく――。
出演者
ソン・ガンホ、イ・ソンギュン、チョ・ヨジョン、チェ・ウシク、パク・ソダム、チャン・ヘジン、パク・ミョンフン、イ・ジョンウン、チョン・ジソ、チョン・ヒョンジュン、パク・ソジュン、パク・クンノク、チョン・イソ
感想・評価
1.当時、映画館で観たけど席が前の方で集中して観れるか不安だったけどそんなのも忘れるくらい面白かった!ストーリーは、テンポよく進むんだけど早くもなく遅くもなくで絶妙!次にこうなるだろ、ってのも全く予想つかないのよね。ストーリーもそうだし、細部までこだわりが凄い。これは、オスカー受賞するよー!って思った。#トキシラズ過去鑑賞記録
2.ハラハラハラハラだった最後めっちゃびっくりしたんだけどスマホで鑑賞したんですが手汗が止まらんかった自分が予想してた結末と大いに違いすぎてびっくりした面白すぎた面白すぎた地下作ろうかな誰か住むかな
3.めちゃくちゃ面白い!この作品はポン・ジュノ監督の意向でネタバレは避けないといけないから、話について深くは言えないけど、展開がとんでもなく面白い!最初から最後まで映画の種類が変わっていく感じがして、最初は笑えるシーンも多いんだけどこれがどんどんスリラー映画になっていく感じが好き「えっ…」「えっ! 」「えっ〜!!」ってなる笑印象に残るシーンが多いから面白い僕は暗く感じなかったけど人によっては暗い映画に感じる人がいるかもしれない…ネタバレが出来ないから説明が難しい!とにかく見て!笑
4.何回でも見たくなる作品。奥の奥まで練り込まれて、現実世界で隠されそうになっている部分がさらけ出されていると感じます。
5.なんか暗~い、いやな感じの映画なのかなーと思ってみてたらなんのなんの、これがちょっとユーモアたっぷりで笑えるんですよ。しかし。ラストに怒涛の展開で驚かせてくれます。やっぱり暗いです。じめじめです。半地下です。色んな意味で衝撃の映画だった。自分の中では新ジャンル。
原題/別名:EL SECRETO DE SUS OJOS
製作国 | スペイン、アルゼンチン |
上映時間 | 129分 |
ジャンル | ドラマ |
スコア | 3.8 |
監督 | フアン・ホセ・カンパネラ |
脚本 | エドゥアルド・サチェリ、フアン・ホセ・カンパネラ |
出演者
リカルド・ダリン、ソレダ・ビジャミル、パブロ・ラゴ、ハビエル・ゴディーノ、カルラ・ケベド、ギレルモ・フランセーヤ
感想・評価
1.裁判所を退職したベンハミンが25年前に担当した未解決殺人事件のことを小説にしようとする現在と事件当時の過去を行き来するサスペンスタイトル通り登場人物一人一人の瞳によって紐解かれていく謎、その展開、衝撃に舌を巻く荒みきっていない愛のあるラストが好きいちいち上手い!
2.愛した女性への情熱は変わらなかった基本ドラマに恋愛とサスペンス最後はスリラーじゃないかと...
3.オープニングの被写界深度の深い映像は素晴らしい。サッカースタジアムの撮影も興味深い。ただ伏線回収が決まっているとは言えないかな?ラストはもっと残忍なものを想像したが、映画の方が残忍なのかも…
4.サスペンスより恋愛作品だった面白かったしなるほど、になったただ 邦画のようにいちいち言葉でセリフで表すのは好きじゃないけど回りくどい表現方法が、少し合わないなぁと思った
5.引退した裁判官の男が25年前に犯人を突き止めるも逮捕できなかった事件と向き合う。小説で回想するのだが、文字起こしし関係者に読んでもらうことで、不可解な点を明らかにしていく。後半にかけて、事件の真相よりも自身の劣等感にフォーカスが向けられていきラストはハハンって感じ。Aが打てないタイプライター、自分ならキレてブチ壊してまうけど伏線回収用だったのね、うん…
原題/別名:MAR ADENTRO
製作国 | スペイン |
上映時間 | 125分 |
ジャンル | ドラマ |
スコア | 3.7 |
監督 | アレハンドロ・アメナーバル |
脚本 | アレハンドロ・アメナーバル、マテオ・ヒル |
出演者
ハビエル・バルデム、ベレン・ルエダ、ロラ・ドゥエニャス、クララ・セグラ、マベル・リベラ、セルソ・ブガーリョ、タマル・ノバス、ジョアン・ダルマウ、フランセスク・ガリード
感想・評価
1.哲学者は大木葉緑みちた頑丈な大木苦しみも悲しみも嘆きも悲哀も、吸収してしまう素朴な自然。大木の佇まいは、人の全てを悟る。大木は、不自由でも自由でもない。唯、死というものを思い描く思考。大木になるためには、種を植える人、発芽するための十分な栄養、十分な時間が大切である。大木は、海とは共存できない。泳げる人間は、力。海には及ばない水という要素を借りて大木は育つ。雨。雲より恵みの雨により、大木は育つ。幸せとは、あなたの目に映る花。空気と海の境界線。海に飛び込む勇気出会いは、二度ある。一度目は、悲劇。二度目は、喜劇。三度目は、無限。大木は、2を好む。2を好むために、太陽を欲する。その大木の名は、ラモン。太陽はあなた。大木の側に、花を添えて。ラモンは、映画も音楽も競馬も好むのだろうか。自由とは何か。メルロ=ポンティとフッサールだけがそれを知っている…
2.ハビエル・バルデムが、四肢麻痺の患者演じる尊厳死をテーマにした作品。26年間、四肢麻痺で人の世話になる生活を余儀なくされるラモン(ハビエル・バルデム)自死を願うラモンを中心に、家族、弁護士、友人の複雑な思いが深刻的になり過ぎず描かれている。フォローしているふらぴこさんから教えて頂いたこの映画。かなり素晴らしい作品だったので感謝してます✨↓ネタバレ?ラモンから言葉の宝物をもらっているのに、若さゆえに全然気がつかない甥っ子のハビエル、伝わらないと言う表現が効果的なシーンだった。ラモンの介護をしている義姉マヌエルに弁護士が「貴方は彼の尊厳死をどう思うか」の問に「彼がそう思うのなら…」と自分の意見は言わないのです。食事、3時間おきの体交、体の清拭、排泄、などなど…義弟に対して並々ならぬ重労働です。解放されたくない訳はない。なのにこのマヌエルの言葉は何よりも重く感じました。(身を粉にして何年も世話をしているのに勝手に死にたいなんて言わないで)(これで辛い世話から解放される)何て思いが絶対あるはずなのに意見せず口を閉ざすマヌエルにじ~んときちゃいました。
3.2大タブー、性と死。性については昨今の活発な議論の結果、まだ途上とはいえマイノリティの存在や主張が認められ、受け入れられるように変わってきた。一方、死についてはどうか。こと日本においてはまだスタートラインにすら立っていないのではないか。去年発覚したALS患者への嘱託殺人事件は起こるべくして起こったように思う。生きることは権利であって義務ではない。その通りだと思う。そして権利は放棄する事ができる。映画ではラモンは服毒した後、眠るように息を引き取ったが実際は数十分苦しんでから亡くなったそう。事件から20年以上経った今年の春、スペインではようやく安楽死法案が施行された。ラモンの苦しみは無駄ではなかったのだと思いたい。西部邁先生の受け売りだが、生きてりゃ良いことあるさの生命至上主義には吐き気がする。ただ生存することを最大の目的とするのは動物だ。人間ではない。人間にとって目的はもっと高みにあるべきで、生存はそのための手段でしかない。生命至上主義はこの手段と目的を履き違えているために人間をただの動物に貶める。ラモンはその手段を最大限に活用して本を書き上げ、自殺を遂げ、安楽死法案の実現に大きく貢献した。存命中に法制化の目的が果たされなかったのは残念ではあるが、とても立派に生き、亡くなったと思う。
4.《作品概要》25歳のとき、船の乗組員だったラモンがある事故で首から下が不随になり、それから実家のベッドで家族の介護を受けながら長い間寝たきり生活を送ることになる。しかし事故から26年後、彼は人生に絶望し尊厳死を望むようになり……。※実話をもとにした映画。《感想》尊厳死について深く考えさせられるとても見応えのある作品でした。ラモンが家族とお別れする日、涙が止まりませんでした。このシーンは家族側とラモン側の両方の立場から気持ちを想像してみるととても切ない気持ちになりますよね。今も感想書きながら思い出しただけでもう泣きそうです。どんなことがあっても生き抜けという考え方の人も一定数はいると思うけど、この映画を鑑賞した後でそう言い切ることは必ずしもできないなと自分は感じました。『私にとって生きるのは権利ではなく、義務だった。』ラモン自身が言うと非常に重みのある言葉ですよね……。ラモンの人生はベッドの上で長い間過ごすとても辛いものだったけど、家族や周りの人々に愛されていたのは、せめてもの救いだったのだと思います。でも、これ実話をもとにしたというのだから現実はもっと辛かったでしょうね…。
5.内容知らずに借りたら、一緒に借りてたミリオンダラー~とテーマが一緒だった偶然に驚いた。次は軽いのにしよう。尊厳死については・・・難しい。それ自体を否定はしないけど、少なくとも”法律で認めてしまう”事には反対。犯罪の隠れ蓑に使われたり安易に死に逃げ込む状況を作ってしまいそうで。
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